MacBook Air 11インチ欲しい!

大事なことなのでもう一度。MacBook Air 11インチ欲しい!だめならMacBook Pro 13インチ欲しい!このプレゼント企画でブロガー以前にはてなダイアラーだったという意識が久々に甦ったはてな古参です遅ればせながら本年も宜しくお願い致します。というか、昨年は遊びまくって他に何もしてないような気もしていましたが、友達と遊んだのは、ぶらり調布深大寺吉祥寺貸本漫画家めぐりの旅とFOI終了後に他の反省会殴り込み、という二回だけだった現実に打ちのめされました。片手で数える程どころかチョキで間に合う。こういうのきっとコミュ障っていうんだよね?ずっと一人でいることに恐怖を全く感じてないところに恐怖を感じたので、今年はせめてもうちょっと友人と関わるようにしたいです。私の友人という絶滅危惧種がまだ存在していればだけど。

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ずっとこの衣装の後ろの方の尖った襟、何かを思い出すと思ってたんだけど、猫のつまんでのびた首の皮だとわかった。気付いたらつまんで持ち上げたくなった。

高橋大輔 Plus [DVD]

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漠然とこんなイメージ・・・

年末年始諸々あって消耗していたのでぼんやりBSのイタリア特集を見ていたら、井筒監督がチネチッタを訪ねる番組でフェリーニというか「道」の話いっぱいしてた。「道」に特別なものを見出して語る男に透けて見えるものが私は嫌いなんだなあと改めて思いました。あれはなんだろ、マッチョ思考のやっすいロマンチシズムとでもいうか。フェリーニ自体は大好きなんですよ。ベジャールのほとんどのダンスとフェリーニのほとんどのフィルムは何にも考えずただその成り行きに身を委ねていれば楽になれる、私にとってかなり大事なアイテムなんだけども、フェリーニ的狂乱が主題に出てない「道」はダメだ。マストロヤンニのような男性が主人公じゃなくてアンソニー・クイン大道芸人が主人公なのはダメだ。フェリーニ的狂乱はビートたけしに通じる狂乱なんだけども、そのビートたけしがこれをどこで学んだかというと、「オレたちひょうきん族」なんじゃないかなあと。で、その「ひょうきん族」にフェリーニテイストを持ち込んだのは誰だろう、と考えた時思い出したのが横澤彪の存在で、それから二人のタケシについて考えて横澤彪についてきちんと調べようかと思ってたらちょうど訃報が入ってえらい驚いた。
フェリーニの「インテルビスタ」ってチネチッタ感謝祭映画を見ていた時に、幼稚園か小学生かわからないけどそのくらい小さな頃初めて「オレたちひょうきん族」を夢中になって見ていた感覚が復活してきて、小学校1年生の時に「ひょうきん族」派の主要メンバーとして「全員集合」派とガチゲンカしてたの思い出した。私、ドリフの笑いまったく分からない子供で、「ひょうきん族」を理解できないこんな奴らとなんで一緒に勉強しなきゃならないんだ、と憤ってた気がする。マストロヤンニのどれだけひどい目にあっても笑えるイケメンって「ひょうきん族」にいかにもいそうな感じだ。マストロヤンニのあの感じ、他にも誰かに似てるとしばらく考えたらウルマノフだったんだけど、ああいう個性って貴重ですね。意外といない、ああいう大きな華と包容力と独特のボケのテンポを持つ人。マストロヤンニはイタリア人に「あいつはオーストリアの血統が出てるんだよ」とか言われてるし、ウル様はミーシンに「あいつタタール人の血入ってるからな」とか言われてるし、その言ってる意味は極東の島国の人間にはよくわからないんですけど、とりあえず異質なものをそうやって片付けておきたい感は伝わった。

極東の島国で有名な殺人者(パリで人肉喰った人)がいきなり本文に出てきてビビった本

メダルと恋と秘密警察―ビットが明かす銀盤人生

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あわせて読んだ
愛しのセルゲイ

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買ってよかった冬の夜長の読書のお供ヴィット様の本とカーチャの本、語られている時期がかぶっていたりもするので、東独ではカタリナ・ヴィットが海外のショーに出たい!ってことが大問題になってるのにゴルデーワ&グリンコフはソ連から問題なく海外のショーに参加してて、これちょっと興味深かったです。あれか、ペレストロイカか。ペレストロイカは東独には波及しなかったけど、その分一気に壁崩れて西独に吸収合併だったんだな、と今更理解。ソ連なんかでかすぎて吸収合併とかできるとこなかったもんな。
でもこの人達の本読んでると、あの一連の時期で社会主義完全敗北・資本主義完全勝利って図式ができたけど一概にそうではなかったよなあと思う。ヴィット様は国がスポンサーでそのスポンサーが逐一行動を監視していたわけだけど、その情報精度って意外と高いものではなかった。資本主義の大企業がスポンサーについてる選手の方がよっぽど自由がなさそうだ。今や有名人が全世界に「セックスなう」を実況されてる時代なんだから、シュタージのやっていたことはおおらかにすら思える。それに、密告者にされてしまった人々の多くがそれでも彼女に尽くしていたことを彼女は記録を読んで理解しているわけだし。アネット・ペッチにだけはガチで怒り狂ってるけど、それはまあヴィット様史観だとそりゃそうなるだろうというか、アネット・ペッチってこの本出た後どうやって切り抜けて今もISU審判団にいるのかむしろそこらへん知りたくなった。インゴ・シュトイヤーが東独でスパイやってた容疑かけられたのもこの件が遠因になってると思うと根が深い問題でもある。ウクライナ移民とカラードのカップルが五輪に行くっていうのを快く思わない人はいるだろう、それで潰したいと思ったらそのコーチがアネット・ペッチ(直接名指しこそされてないが対ヴィット工作員としてほぼクロ)の娘を教えていた、というところで本当にやっていたかどうかはともかくそこを突かれてしまうのは当然だろうなあ。
あと、当時のドイツの状況を他人事だと思えないというか、近い将来隣の国で起こるだろうことについて考えざるを得なかった。隣の国で何か起こったら当然この国にも大きな影響はあるだろう。そういった意味でユナキムさんのことも頭をよぎった。でもヴィット様本人のキャラクターからはヤグディン自伝を読んだ時と同じような感覚に陥った。この二人に関しては、どこの国でどんな所で育ってもきっとヴィット様になってたし、ヤグディンになってたとしか思えません。
カーチャの方はカーチャの方で、共産主義圏からやってきた悲劇のヒロインという作られた偶像の形がまずあって、それは私達が金賢姫に投影・要求したものと同じようなものに思え、西側の傲慢をちょっと感じたところがありました。誰の自伝を読んでもタラソワさんの人物描写のブレなさには驚く*1。ただ、タラソワさんとの金銭トラブルが原因で師弟関係を解消したこともあったようなので、その後ゴルデーワがクーリックと再婚、というきっかけの一つにある意味タラソワさんがいたような気がしてならないです。同じような状況に陥った金メダリストが相談するのにこれほどピッタリな人はいないだろうし。
広田レオナが「離婚して子供を一人で抱える羽目になった時まで私はおとぎの国の住人だった」みたいなこと言ってたけど、広田レオナもエカテリーナ・ゴルデーワも、同じような環境だったんだろうな、とは思いました。広田レオナ文化庁初の国費留学バレリーナって肩書きはソ連のスポーツエリート養成コース育ちとも大して変わらないようなものな気がする。故障で挫折後のケアのなさも含めて。
金賢姫広田レオナと共にカーチャ自伝読んでて思い出したのは浅田真央でしたなあ。やっぱ西も東も共産主義も資本主義もなく、そういう人はそうなってしまうんだと思います。真央ちゃんはいつ現実の生活を意識することになるんだろう。いつか気付く日がくるんだけど、その時の彼女を私達は知ることになるんだろうか。
そんなことをいちいち考えながら読んでいたので面白かったけど情報量が半端なくなってしまったため勝手に大変でした。何より懐かしくて苦しくなりました。私とフィギュアスケートが健全な距離を保っていた時代の話だったから。冬の夜にストーブにあたりながらフィギュアスケーターの本を読んでいることで完璧な閉じた小さな幸福の空間を私は作り出せるんだけど、それは幸せだけど、もう失われてしまったものへのノスタルジーに浸っているので健康な幸せではないことも気付いてしまっていてちょっと苦しい。今、フィギュアスケートを消費している人達に私は麻木久仁子倉田真由美林真理子的なものを感じてしまうので、私の小さな幸せを無節操に破壊されてしまいそうなのも怖い。

カタリナ・ヴィットが金メダルを獲得したサラエボ五輪のセレモニー会場は、その後の内戦で墓地と化した。それはとても痛ましいことではあるのだけれども、長野五輪のセレモニー会場が現在駐車場になっていることも同じくらい惨い現実だと思う。サラエボはともあれセレモニーの場として今も機能しているのだけれど、長野五輪跡地は麻木・倉田・林という人々が体現しているものに食いつぶされてしまった。それは日本の貧困の象徴だったり、資本主義の負の部分を露呈しているように思えます。

*1:デュボワの「氷の扉」は未読