ピロー・トーク

「枕があわない!」と捨ててから数年、タオルを折り畳んでごまかしていたのだが、ここ半年くらい寝違えがひどく、きちんとした枕が欲しくて、寝具!寝具!寝具!と、上野から御徒町までアメ横通り抜けて買いに行く前の話。

「M」観に行ってチケット出したら2秒で小林家(除:クリスティーヌ)*1。会場ロビー入ってすぐ目の前に十市さんブログでジャンプしてらしたお母様とカーロック・ホームズがいた。友達が柳家初花*2さんのファンなんです、と無性に言いたくなったがタイミングが合わなかったので言えなかったです。というか、別に言わなくてもいい情報ですよね、その場に友達も初花さんもいない当事者不在の状況、しかも兄の大舞台の前にいきなり知らない女に声かけられてそいつの友達が自分の弟子のファンだという情報を伝えられても困るだろう。タイミング合わなくてよかったよ。多分勝手に高まって、花緑さん、昔よく見た「上の子の発表会に連れてこられた弟」そのままの雰囲気だったので、あの頃にふと感覚が戻ってそういう子の面倒をみたがる「出番が終ったお姉ちゃん」になっただけなんだと思います。上の子の発表会を見守るお母さんと連れてこられた弟ってどこもあんなんだった。ピーコート着てるあたりがとくにそれらしかった。

そんでパンフ買おうと思ったけど行列すごかったから他のブース見てたらいきなりそこに高橋大輔LUV LETTER衣装)がいた。何が起こっているのかわからなかった。あ、新書館ブース?だからWFS?でもなんで?最新号でもないよね、この写真だし、美姫ちゃんならまだつながりもわかるんだけどこことそんなに雑誌まで買うようなコアなファン層かぶってるわけでもないよねないよねいやかぶってたら申し訳ないですけどいやなんかものすごく恥ずかしいですバンクーバーまで観に行ったとかすごいヲタみたいで私気持ち悪いですよねすんませんいやみたいじゃなくて実際すごい気持ち悪いヲタなんですよね私うわあああ、と頭グラングランしました。帰ってきてから気付いたけど、あの号ってダンマガ・WFS合同で小林十市meetsステファン・ランビエール対談の片方載ってるやつじゃないかな。気付いた時に、そのあまりの自意識過剰さに顔カァァァァって。家の中でよかった。そして花緑さんに話しかけなくてよかったと改めて思った。いつもの私だったらそのくらいの情報すぐに気付いてたはずなのに舞い上がってたんでしょうなあ。余計なことしなくてよかったなあ。

思わぬ波乱が起こったロビーを抜けたらあっという間に舞台が始まった。というより私が到着遅れたくせに余裕ぶっこいていつもの調子でブラブラしてたら開演時間せまってたのであせって桟敷席まで駆け上がった。

いきなり冒頭の海の表現で頭の中パァァァァァって、身体の細胞という細胞が沸き立ってバァァァァってアドレナリン駆け巡ったよ。「これドビュッシーが描いた海だーーーーーー!!!!!!」ってそれでウワァァァァァって。まさかあれが視覚となって目の前に表現されるとは思っていなかったので、それでグワァァァァァって。

フランス人のジャポネスク趣味が昔から説明がつかないくらいに好きで、それでも説明したい性分なので考え抜いた挙げ句「私の直近の前世は二つの大戦の間のベル・エポックを愛して生きた日本趣味のフランス人」と口走りはじめて周りを呆れさせつつやっとなんとかおさまりがつくくらいその眼差しが好きで、自分の現役最後の年にドビュッシーの「海」やろうよやろうよって工作していたのだがはねのけられてプロコフィエフの「シンデレラ」押し付けられてがぜんやる気なくしていじけてろくに練習もせずに太宰治全集読みふけって(太宰文学を題材にした曲もやることになったからという建前で)文句を言わせなかったことや、私は「海」の音の中に座ってみたかったのにそれを達成できなかった悔しさを未だに引きずっていることや、もはや楽器を演奏するどころか握ることすら困難なほど手首を傷めたことに対して数日前にのだめ最終巻パラパラめくってた時にとっくの昔に受け入れていたと思い込んでいたその事実を実は全く受け入れてなくて、下手でも趣味でも何でもいいから私は今でも聴き手にまわるだけじゃなくて演奏する方にもなりたがっていたんだ、という気持ちが唐突に立ち上がって嗚咽していたことや、その時に十市さんの椎間板変性症っていうのはもしかしてこの腱鞘炎みたいなものなんだろうか、そうだとしたらこんな状況でプロとして舞台に立つなんてどれほどの勇気が必要なんだろうと更に泣けてきたことなどがいっぺんに自分の中で押し寄せてきて、東京文化会館の空のオーケストラピットを見ると水を張っていないプールのようだ、といつも感傷的になっていたのに、その女性コールドの海の動きが始まったらそこに流れ始めたものが確かにあるように思えて急速に満たされたんですよね、私の空っぽのプールが。そしたらもうほんと楽しくなった。

ベジャールの思い描く三島やJAPONがとても私の肌にあってた。とてつもない財産だろうなあ、この作品。東京バレエ団にとってはもちろん、日本にとっても、ベジャールにとっても。そして何より私にとって莫大な財産だとわかった。そこにあると思っていなかった大切な宝物がいきなり目の前に広がったんだから、想像以上の形でそこに広がってたんだから。意外なことに、ソリストじゃなくて群舞がとくに楽しかった。聖セバスチャンが登場してきたら松浦理英子の世界もコミットしてきて頭の中が文学と音楽と舞踊で満たされて幸せだった。私は三島由紀夫を通ってないけど、三島・澁澤・足穂を踏まえた作家・松浦理英子を通して体験していたのかとわかった。
能楽の要素も今年の夏に国立能楽堂に行って最近ではガラケーにまで通じる日本文化の精神的支柱がここにある、と強烈に感じてきた経験があったので堪能できました。あれをバレエに取り入れて再現するなんて無茶をよくやり切ってるなあと思うその視線は「外人の視線」にすごく近い。私は「外人の見る日本」を映像で見るのが大好きだから。写真やテレビや映画で「外人の視線」が思いがけなくあらわになって見慣れた風景が異化する瞬間が大好きだから、でも私は日本社会の中で生まれ育った人間なので「外部の視線」には完全に同化できなくて、その狭間にいる感覚がとても好きだから、1時間40分ずっとその感覚をキープできて楽しかった。
とくにクライマックスの盾の会の持つ桜と緑の海の風景、これに尽きる。これがあまりにも美しくて見とれてしまって、知らないうちに少年ミシマは切腹してたみたい。三島がテーマの作品観に行って切腹の瞬間見逃してるっていうのはサッカー観戦に行ってゴールシーンを見逃すようなことな気がするんだけど、ほんとにね、少年の後ろの桜と海が綺麗で、それだけで満足しきってた。あれは日本人の世界観にある極楽浄土の表現なのかな。それを目で楽しむことだけに全神経が集中していたみたいです。
なぜなら切腹にも気付かなかったけど、公演後買ったパンフレット読んだらそのシーンで流れていたらしい音楽に全く気付いてなかったことも判明したんです。しかもその音楽がトリスタンとイゾルデの「愛の死」だって。それまで、ああドビュッシーだ、とか、これシュトラウス父だっけ子だっけでもとにかくVPOニューイヤーコンサートみたい、とか、サティの「Je tu vous」の「tu」ってなんだっけか*3、などかかっていた曲にはいちいち敏感に反応していたのは覚えているし、トリスタンとイゾルデだったら聞き逃すはずもわからないはずもなく重要シーンでそれが使われたら思いっきり何らかの反応を刻んでいるはずなんです。

でも、全く、記憶にない。視覚のみにとらわれてそれに見とれて何も聞こえなくなってるという経験は私の人生で今までなかったはずだ。「視覚的な人間」だとか「好きな絵を見ているだけで何時間も過ごせる」と話す友人のことを面白く思っていてもその感覚を知ることはなかったんだけど、それがどういうことかわかった。ちょっとこの引きずり込まれ方は確かに幸福以外の何物でもない。

何かを観に行って、我を忘れるということは意外にない人間で、感動してスタンディングオベーションを捧げるような時も終りそうなあたりからきちんと準備して万難を排するように計らうところはそう見えなくとも常にあったはずなのだけど、今年は気付いたら勝手に行動していたということが三度もあって幸せな年だったなあと思う。
一度目はバンクーバー五輪鈴木明子FSが終った直後。どれくらいの時間なのかはわからないんだけど、気付いたら立って拍手していて、膝の上に載っけてた鞄が2,3m先くらいに吹っ飛んでいて周囲のカナダ人に笑われていた時。
二度目はゲルギエフマーラー5番の演奏直後。後ろから「ブラボー!」の声が飛んだ瞬間私も「ブラボー!」って叫んでた。つられて自然に声が勝手に出てた。叫んだ喉の感触で我に返った。
三度目はまだ舞台でバレエ踊ってる真っ最中にそれを起こしていたことに帰ってきてから気付いたのでどれほどの時間なのかわからない。でもワーグナーが全く耳に入ってないんだから結構な時間だったのだろうなあ。あと一番安い見切れ席だったので、見とれている間ずっと首が右向きで固定されていたみたいで終った後に痛くなってた。

何が起こっているのかわからなかったがとにかくもう寝違えるのは嫌なので、いいや自分へのクリスマスプレゼントだ、と、ガラケーで検索したら東京文化会館の近くにもあったロフテー工房まで歩いていって枕を買いに行きました。マニフレックス、綿毛布に続き1万円超す枕を装備しすっかり寝具充になりました。枕選びに夢中になったり飽きたりしながらピローフィッターとピロートークに花を咲かせていたら試し寝用にマニフレックス完備していて「使っているお客様多いんですよ」と。それ多分健康状態に問題を抱えている人がマットレスにこだわって次に枕に手を出したってパターンが多いってことですよねわかります。腰に爆弾抱えつつも見事に踊りきった小林十市さんにこのセットお勧めします。マニフレックスロフテー枕、マジで神コンボ。

十市さんの「清潔感あるベジャールダンサー」という不思議な存在感も生で堪能できて嬉しかったです。汎用性のある「バレエダンサー」の集団の中にたった一人、ベジャールに特化したダンサーが混ざると、そのネイティヴスピーカーである特性が際立っていてその異化が心地良かったです。ベジャールネイティヴスピーカーであると同時に日本語のネイティヴスピーカーでもある十市さんは「ベジャールが愛する日本」を体現した存在だったんだなあとしみじみ実感しました。

その場ではただひたすらぼんやり幸せであったが、家に帰ってからじわじわそれ以外の感情が身体に入ってきて眠れなくなったから、情報を処理する助けに松浦理英子の本二冊読んでしまった。松浦作品でもっとも私に近い登場人物って「セバスチャン」の中にいると思った。ヘッド・トリップをしずめるために枕に頭埋めつつ久々に読んだら色々懐かしくなった。

セバスチャン (河出文庫)

セバスチャン (河出文庫)

でもまだこの週末の余韻が心と体に残っていてうすらぼんやり幸せなままでいる。濃厚な幸せをくれた皆さんに感謝します。

*1:中に入ったらお母様と話してるクリスティーヌを桟敷席から発見したよ。観に行ったのは18日だったよ

*2:このはてなキーワードつくったのがその友人で吹いた

*3:調べたら「Je te veux」だったよ。vousじゃなかったよ、私、お前、お前ら、ってなんだよ!?とか思ってたら「欲する・望む」を意味するvouloirの活用でした。フランス語の活用難しいね…ついでにtuもteに変化してました