おおらかな「手」

私にも友達がいたみたいで、1/19に「一日限定で小沢くんのサイト変わってるみたい!」とメールをもらったので小沢健二サイトを覗きにいったらいつの間にか文章が増えていた。
「手」
http://hihumiyo.net/te.html
小沢健二ナチュラルな上から目線と中二病を治す気もない清々しさが懐かしい文章だ。

 終わってロックコンサートのように嬌声を挙げて騒いでいたアホどもがボックス席あたりにいたと思いますが、あれは僕らです。これが騒がずにいられるか!てなもんです。

40過ぎてこれは『THE 小沢健二』ですよねえ。
この人、その場に慣れてこなれてくると、結局この態度に行き着くのなあ。これ、格差とか社会問題系を語る人としては短所だと思うんだけど、詩人としては面白いからこれでいいや。

NYのサイトウキネン公演行ってんのか!うらやましい!とも思ったけど、当たり前っちゃ当たり前の話。私はこの人と小澤征爾が親戚だということを頭できっちり理解してるのに、実は感覚として妙に飲み込めてないところがあるので、いきなり『小澤征爾の甥』としての立場から語られていることに戸惑った。身内からの証言をここで読まされるとは思ってなかったので、ちょっと立ち止まって考えてその意味がわかった瞬間に心拍数あがった。『叔父さん』についてエッセイで書いたりインタビューでちょろっと語ったりはしてたけど、こちらでも注目していた一つのコンサートについての興味をリアルタイムで共有していて、なおかつそれを親戚の立場から小沢健二が見ていることが今更ながら不思議だったりもする。

ここのところの日本での小澤征爾の扱いってちょっと違和感があって。「日本代表」としての過剰な煽られ方が。トップニュースになったりするわけだよね、彼が休演したり復活したりということが。それはやがて来るべき肉体の終焉まで煽り続けようという嫌らしさと「日本代表」の危機と奇跡、みたいな見方でしか語られてなく、彼の音楽をどう思うかどころか聴いたことも興味もないような人々が「心配」だとか「不安」だとか「感動」の声を騒々しくあげ、やがて語ることができる「悲しみ」に備えてニュースを消費しているわけだ。それは「真央ちゃん」を消費するより不謹慎な態度だ。そういった知りたい情報以外のものに振り回されて疲弊していたところ、全く別のベクトルの、「消費」とは無縁の、身内からの生の声が届いて、目の前で風船が弾けたような衝撃を受けたのでした。そしてその声が思いがけずよく知ってる声だったことが嬉しかった。「書き手」としての小沢健二の気取らない・体に馴染んだ「声」がよく聞こえるいい文章でした。

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私、日本の野球ファンってのが嫌いで、特に巨人ファンは誰もが野球を知っている前提で話を進めるからものっすごい嫌いで*1、だから野球の視聴率低下とか日本シリーズ放送なしとかちょっと胸がすくところもあったんだけど、その代わりに突然人気が出たのがアジア大会とか世界○○とか何でも「日本代表」が出てくるもので、要はプロ野球人気の低下もアジア大会の人気急上昇もナショナリズムの煽りを受けてるんですよね。アジア大会アジアカップは面白いからもっと人気が出ればいいのに、とずっと思ってたけど、いざ人気が出てみるとその人気の出方が不健全で悲しくなってる昨今です。ヨーロッパではEUROなんちゃらがいちいち人気であれ面白いし羨ましいと思っていたけど、その盛り上がりの意味がわかった今、何とも複雑な心持ちである。
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閑話休題
小澤征爾のコンサートをネタに『手への信頼』について、懐かしく見知った声が語っているのに乗じて、ここ数年、日本語の『手』はどこまで許容してくれるのか、と密かに私が冒険していたことを書き留めておきたくなった。
『作り手』『描き手』あたりは実際に手を使う作業もしていそうだから問題はない。『聴き手』『話し手』なんかは手を使ってないだろうけど定着してる日本語なのでこれも問題ないっぽい。じゃあどこまで『手』でいけるのかと思って、意識的に『読み手』とか『踊り手』とかそういった感じでなんでも英語でいう『-er』みたいな扱いで『○○手』と書いていて、ここで使ったかどうかは思い出せないんだけど、明らかに手は使ってないものについて『滑り手』『蹴り手』と無理めに表現してみても、誰も「それおかしい」とは言わず、そのまんまそれが『フィギュアスケーター』『サッカー選手』として意味が通じてすっと会話が流れていったので、何度か試みたのだけど、いつもそうだったので、日本語における『手』はすさまじい包容力をもっているんだなあ、手は人なり、と、手の上で踊らされている孫悟空のような気分になりました。
って、あれ!?孫悟空!?これ日本語の問題じゃなくて仏教的な何か!?これが『アジア人の手』のバックボーン!?と今唐突に気付き、『宗教と手』みたいなとてつもなく深淵なテーマになるんじゃないか、と、動揺に拍車がかかり始めたので、やっぱり文章読みながら思い出したタン・ドゥンのペーパー・コンチェルトの動画、一部だけ貼るという中途半端な手仕事でやっつけてお茶を濁して逃げよう。

WSO - Tan Dun Paper Concerto

http://www.youtube.com/watch?v=vh-ZVdbC_FM

動画検索ついでにパトリック・チャンのカナディアン・ナショナルもチェックしたんだけど、あの人あんなにスケートうまいのに、パトリック・チャンといえばこの曲ってプログラムがあんまり思い浮かばなくてさ、試しにペーパー・コンチェルトをスケートリンクで演奏してその合間でパトリック・チャンがステップ踏んだりジャンプしたりしてるの想像したらすっごくハマってさ、ちょっとそれ見てみたいよいいんじゃないかな、とローリーに誰かお伝えください。強いて言えば「女帝」がパトリック・チャンかなあ、と思い出したけど、あれもタン・ドゥンの曲だったですそういえば。叩きの音がバシバシ入ってる系のタン・ドゥンやってるパトリック・チャンみたいみたい。

スケートリンクインスタレーションみたいに垂れ下がった紙を叩く人と、その人の合間を縫って滑る人という画がみたいからタン・ドゥンにも誰か企画もってってくれないかな、ペーパー・コンチェルト・オン・アイスorウォーター・コンチェルト・オン・アイス、イケるんじゃないかな?なんならNHKクラシック倶楽部枠でどうでしょうか。

*1:たぶん私が南米とかイギリスとかで育った人だったらサッカーが嫌いになってると思います