有事に欲したもの

marginalism2011-04-14

都知事選の投票日でもあった日曜日に結婚式にお呼ばれして、それがとてもよいお式で、こんな時期に結婚式をやるべきかそれとも中止するべきか迷っていた彼女に「こういう時だからこそ経済回るようなイベントはやった方がいいよ」と開催決断の後押しをしてみたのだけど、その結婚式を取り仕切った牧師さんがこういう時期にどう振る舞うか、ということを説教臭くなく説教できる人で、この人のお話を聞かせてくれる機会を与えてもらってありがたかったです。今、人々がどういう言葉を欲しているかをきちんと踏まえた上で祝福できる土台を作っていた。そういう牧師さんの振る舞いを見ていると「経済」という下世話なタームを使わずに後押しできたらもっとよかったなあ、とも思ったけど、あせらず一歩ずつ進めばいつかそうなれると信じたい。

それで、どこかの避難所にいる人がテレビで「次に他で何かあったらここのことは忘れられてしまう」と言っていたのが印象に残っていたのだけど、まさに私たちは宮崎のことを忘れていたなあ、と、都知事選の候補者のポスターの前を通りかかった時に思い出したので、黙っていてもみんな東北に注目してる今、私は宮崎を支援しようかと、それが私なりの一歩だと思って、新宿サザンテラスにある宮崎のアンテナショップで宮崎マンゴーを買ってみた。みんなほら、東北の地酒とか買って花見すればいいけどさ、残念ながら私は下戸だ。だから、みんなが東北のお酒を買って楽しくおいしく飲むように、私は宮崎のマンゴーを買って友達の家に持ち込んで食べたよ。友達の子供とも一緒に楽しくおいしく食べたよ。子供がいたり妊婦だったりそうじゃなくても放射能が気になる人は宮崎産の肉や野菜をじゃんじゃん買えばいいじゃない、そんなに東北や北関東の食べ物が嫌なら宮崎の食べ物をセレクトすればいいじゃない。宮崎のアンテナショップに「こんなご時世に申し訳ありませんが」という声が聞こえてきそうな風情で新燃岳噴火被害支援を呼びかける募金箱がひっそり設置されていたので、そこにもちょっとだけ入れてきたよ。そしたら店員の人に気付かれてやたら感謝されて、ただただ恐縮するばかりだった。その尋常じゃない感謝のされ方から、いかに私たちが宮崎で立て続けに起こった口蹄疫鳥インフルや噴火なんかのことを忘れてしまっているかが逆説的に照射されて、本当にやりきれなくなった。私たちは何でもすぐに忘れてしまう。でも、忘れてしまったことは思い出せばいいだけの話でもある。

宮崎県のサイト(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/index.htm)からもってきました。
霧島山新燃岳)の噴火に関する情報提供(4月1日)
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/somu/kiki/volcano/sinmoe_funka.html
義援金・寄附金の窓口(新燃岳噴火被害、鳥インフルエンザ発生)
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/info/gienkin.html
口蹄疫に関する情報提供
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/nosei/chikusan/miyazakicow/h22kouteindex.html
新宿みやざき館KONNE(新宿サザンテラスにある宮崎のアンテナショップ)
http://www.konne.jp/


そういう宮崎のこととソウル・フラワー・ユニオンが今やっていることがどこか繋がっているような気がしたので、友人も呼びかけ人に名を連ねているこちらをご紹介。

ソウルフラワー震災基金からの報告とお願い
「ソウルフラワー震災基金」代表 伊丹英子
2011年3月28日

 1995年に起った、阪神淡路大震災。その際、大きいチャリティ募金とは異なった、災害弱者(阪神淡路大震災の時は、介護が必要なお年寄りや自立身体障害者の方)に焦点をあてた基金を立ち上げました。小さな呼びかけにもかかわらず、たくさんの方々からの協力、募金が集まりました。何年にもわたり、毎月、募金して下さった方、お店に募金箱を置いて下さった方、本当にありがとうございました。

 もう、こんなことは起らないでほしいと願う、被災地を経験したみんなの願いも空しく、今回、こんな大きな地震が起ってしまいました。津波に加え、原発事故と、規模の大きさに、日本中のみんながどうしていいかわからない状態だと思います。しかし、神戸で、極寒の中、たき火を囲み、少しずつ笑顔を取り戻したことを思い出し、手をつなぎ立ち上がり、二度とこんなことが起らないよう、みんなで繋がりましょう。

  そこで、「ソウルフラワー震災基金」について いったん、神戸への支援は終了させ、残っているお金を、今回の東日本大震災の支援に切り替えたいと思います。3月20日現在、数名の知り合いが、被災地に入っていますので、現地の状況を聞きつつ、必要な物資を直接送ったり、現地の信頼出来るボランティアに渡したり、私は、沖縄で受け入れた、避難民のケアに携わっていこうと思っています。

 特に、福島県の、子供を持つ家族は、言葉に出来ないほど、不安でいっぱいだと思います。早急に、落ち着ける場所を探し、子供たちが学校に安心して通える状況を作る支援がしたいと思っています。そういった形で、この「ソウルフラワー震災基金」を、「ソウルフラワー震災基金2011」とし継続することのご了承と応援をお願いいたします。

 私達は阪神淡路大震災を通して、人の暖かさ、地域コミュニティーの大切さ、仲間の大切さ、故郷を愛する心、癒えない心の傷、人間の弱さ、音楽の強さ、たくさんの事を学びました。そして、被災された方の心も、支援する側の熱も、状況と時間が変えていきます。でも、復興するというのは、被害が大きければ大きいだけ、時間がかかるものです。それを支援する側が忘れてはいけないと思います。

この「ソウルフラワー震災基金2011」と、みんなの気持ちが、少しでも東北の被災された人の助けになればと思っています。

ソウルフラワー震災基金2011
代表 伊丹英子 / 中川敬
■募金振込口座   京都銀行:山崎支店 (普)786282
口座名義 ソウルフラワー震災基金
(以下引用略。詳細はリンク先でお読みください)

http://www.breast.co.jp/soulflower/sfu20110328.html

中川敬の「満月の夕」セルフ・カヴァーもここで聞けます。
http://www.breast.co.jp/soulflower/sfu20110314.html
今は必死に笑うことでしか自分を保てない人々が、一刻も早く安心して泣けるようになることをとにかく願っている。笑うことをやめて涙をこぼした時、初めて前を向けるようになる。もう涙を見せてもいいんだと思える状況をどうにか作らせてほしいなと思う。一緒に涙も鼻水も垂らしながら前向いて笑って進みたいなと思う。


私個人は、自分が追い詰まった時にはいつも坂口安吾を読んだ。すがりつくように読んだ。その時、泣いていたのか笑っていたのか思い出せないほど没頭して読んだ。今回もそうだった。

 すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病ある人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただ毒薬であるにすぎない。僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような、平凡な、小さな幸福を希っているのだ。
(「青春論」より)

 処女の純潔などというけれども、一向に実用的なものではないので、失敗は成功の母と言い、失敗は進歩の階段であるから、処女を失うぐらい必ずしも咎むべきではなかろう。純潔を失うなどと云って、ひどい堕落のように思いこませるから罪悪感によって本格的に堕落の路を辿るようになるので、これを進歩の段階と見、より良きものを求める為の尊い捨石であるような考え方生き方を与える方が本当だ。より良きものへの希求が人間に高さと品位を与えるのだ。単なる処女の如き何物でもないではないか。尤も無理にすて去る必要はない。要は、魂の純潔が必要なだけである。
(「デカダン文学論」より)

 けれども、私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。
(「堕落論」より)

堕落論 (角川文庫)

堕落論 (角川文庫)

これ、私が十代の時に坂口安吾の文庫本を読みながら線を引いたり囲ったり丸で覆ったりした文章のほんの一部なんだけど、物心つく前からできるだけ本を大事にしていて、書き込みや線引きなどして汚すことを許さなかった女の子が、どんな熱情にかられてぐちゃぐちゃに書き込んだり印を付けたり端を折ったりしまくったのだろう。忘れていたその子を私は抱きしめたくなった。抱きしめてあげられるほど大人になってると思った。直接抱きしめてあげられないそういう子のためにやるべきことをそれからずっと考えている。

ああいうことが起こるとその人の器の底が見えやすくなる。自分のそれも見えやすくなっているはずで、ちょっとそれは恐ろしいことなので、たまらず「堕落論」の文庫本(私が最初に買って汚した角川版)を手に取ったが、読み直して得たものは、私は昔から変わらずこういう人間であったのだ、という安心感だった。それでもなお、嗜好が変わったところもある。あれ以来見たり聞いたりできなくなったものもあるけど、逆によく見聞きできるようになったものもあり、その最大の存在はブラームスでした。クリスチャン・ツィメルマンのピアノ、ピナ・バウシュの「春の祭典」なども伝わり方が深くなったのだけれど、とりわけブラームス交響曲第4番が今の心によく染み渡りました。秋口からのブラームス問題が地殻変動により落ち着くべきところに落ち着いた感じです。クラリネット&ピアノ経験者にとってブラームスは最重要作曲家であるといっていい。とりわけクラ吹きとしての魂が未だ残っている人間にとっては。私はドビュッシーがとても好きだったけれども、それは片思いでしかいられない関係だというのも重々承知であった、そして結局おさまるべきところはブラームスであることも。その事実、自分の底を受け入れることがやっとできた。ずっとフランスかぶれの嗜好を持っていたくせに、クラリネットの音だけはフランス管よりドイツ管の方が好きで、ドイツ管クラリネットといえばやっぱりカラヤン時代のベルリン・フィル*1の演奏になってしまうので、ブラームス問題と共に抱えていたカラヤン問題も克服しました。ピナも含めてドイツな気分になってしまっているみたいで、これが一時的な気分じゃなさそうなので、自分の根本がどう変わったのか探り中です。

第一楽章冒頭がとにかく美しい。木管が美しい。

http://www.youtube.com/watch?v=jnzPMJ7zbfk

*1:この時代のベルリン・フィル木管部隊のアンサンブルってちょっとどうしたらそうなるのかわからないくらいクオリティ高いですね