共闘ネクストステージ

marginalism2011-05-14

パトリックさんのFSのファイブコンポーネンツの採点で10点が出たことで杉田さんが「スケーティングスキルと音楽との調和はわかるけど表現力では…」とおっしゃっていて、常々インタープリテーションとパフォーマンスの採点の違いがよくわからなかったので、パトリックさんの『オペラ座の怪人』をもう一度よく見てみました。
http://www.youtube.com/watch?v=NcQNihPrHdU

杉田さんの指摘の意味がよくわかりました。これ、譜面そのまま氷上にトレースしているといってよい。このプログラム、「オペラ座の怪人」である必要があるかどうかはよくわからないけど、「この音楽」である必然性はある、ということだ。ものっすごい問題作だな。なんつうか、やってることがオペラ座の怪人じゃなくてオペラ座音楽監督だ。音楽監督ならオーケストラボックスにいるのがせいぜいなはずなのになぜか舞台に立って主役張ってるという意味で問題作。ローリーの意図がわかるようでわからない。こういうことやりたいならミュージカルとか映画にもなるようなテーマ性のあるものじゃなくてブルックナーとかブラームスあたりの交響曲でやればいいじゃない。これ、次のISU総会でどんな評価されるんだろう?この方向をパトリックさんが極めていってパフォーマンスまでついてきたらものすごいことになるだろうけど、違う方向にものすごく先鋭化していってポケットスコアめくりながら録音聞くクラシックマニアみたいな作業を延々と再現されたらそれは私が求めるフィギュアスケートではないなあ。目疲れるんだよねあの作業。これ多分、ステップとかターンの種類と音符が呼応しているように思える。私がステップとかターンがよくわからないから、この音でこの記号がついてるようなところは同じようなものが繰り返されてるなあとぼんやりとしか思えないのだけど、スケートの経験者で楽譜が読めるような人がいたら検証してほしいくらい再現度高いように見える。

なぜ今頃になって2011モスクワワールドの話を書いてるかというと、ワールド期間になにやら身辺騒がしく、気付いたら青森までしばらく旅に出ていて最近やっと男子の録画を見たところだからです。東北新幹線がチケット取れるかそもそも開通するのかよくわかんないから飛行機で行くことになったと弟がチケット手配したのはいいけど、羽田で待ち合わせしたらあいつら飛行機なのに出発20分前に到着とか相当なめたことやらかして(でもチケット予約したのは弟のクレジットカードなので出発2時間前には羽田に着いていた私には何にもできなかったのです)、生後5ヶ月男児用の荷物もしこたま持ってきてるっつうのにそんななめたことやらかしたので、気合いで職員捕まえてバギーだのなんだの出発10分前にねじ込んだりしてたらそんな私の様子を「姉ちゃんこええ、鬼気迫ってる」とかあいつ笑いやがってカチンときてたらなんとか乗り込んだ飛行機の中で生後5ヶ月が離陸前から着陸後まで大泣きで、もうむしろ遅れて乗り込んできた一行がさんざん周囲の席の皆さんから気を遣われる始末で、でもやっと着いた三沢空港で飛行機から降りたら赤ん坊いきなり笑顔になってやがんの。まあ、赤ん坊なんてそんなもんだよな。夫とその姉が空港ロビーで騒ぎ立て、抱いてる赤ん坊が機内でギャンギャン泣いてる一連の状況の中、ずっと動じず「みんなパニック起こしてる」と一言だけ放った嫁には惚れそうになった。この顛末を説明する暇もなく親戚一同が素早く赤ん坊囲みながら思い出話に花を咲かせているところで、私が3歳くらいの時に出発までまだ1時間くらいある青函連絡船の中で「おじいちゃんおばあちゃん降りて!降りて!降りれなくなっちゃうから降りて!」と泣き叫んだというエピソードを聞かされたので、これが三つ子魂百までというやつか、と納得するものはあった。

東北地方のNHKは未だにL字で放送していましたが、祖父母の家のあたりは静かでした。祖父母の家は最近できた新幹線の駅から車で10分もかからないところなんだけど静かでした。三沢空港から祖父母の家までほんとに何にもなくてやっと人を見かけたと思ったら野焼きやってる人だった。そのあたりは六ヶ所村から20km圏内なんだけど、原子力関連施設がなけりゃこのあたり即死だってわかるくらいに何にもなく貧しかったです。どこだって原発なんか作りたくないだろうけど、あまりにも貧しくて明日の米にも困るような状態だったら背に腹は代えられないと原発誘致してしまうことを全て否定はできないな、と思ってしまった。それによる交付金と雇用がなければ速効夕張以下の自治体ばかりなんだろう。原発問題はその地方の抱える貧困問題抜きに語ることができないんだと身をもって感じてきたのと同時に、こんなに静かな場所で丁寧に畑を耕すような老人達が一瞬の出来事でその土地を追われる不条理や恐怖も感じ取った。それが日本のどこで起こってもおかしくないんだと、他人事ではないんだと、畑と言っても差し支えない広さの庭を歩きながら今年はどこに何を植えるのか教えてくれる祖母の背中を見て、その場所から山菜を一緒に摘みながら、今年はこういうことをできないで避難所にいる人々がたくさんいる、その人達のように80代・90代の祖父母が今まで生きてきた土地を追われたら、と思ったらこみ上げるものがあって、その時期にそういった場所に行けてよかったです。私が小学生の頃にチェルノブイリがあってそれから間もなく地元の電力会社の原発が稼働を始めて、その頃から反原発脱原発となんとなく思ってきたけど、その問題がやっと頭から腹に落ちた。

NHK武田真一アナウンサーが連休あたりに岩手の被災地に行ったみたいなんだけど、これと通じる感覚。

(前略)
がれきの中で、時計を見つけました。
3時25分前後で止まっていました。
地震が発生したのが2時46分。
それから、およそ40分。
何が、この間にあったのか。
何故、この間に逃げられなかったのか。
そして、僕らは、何を伝えればよかったのか。
考えさせられました。

視聴者の生命・財産を守るために。
そう思って、これまで緊急報道にあたってきたつもりでした。
そのために、何度も、訓練をしたり、勉強会を開いたりして、研鑽を積んできました。
しかし、今回の現実は、重く受け止めなくてはなりません。

ひとりでも多くの命を救うために、何を、どのように伝えればいいのか。
改めて、いちから見直すことが必要です。
そのための取り組みを、これから、仲間たちと一緒に始めようと思います。
(後略)

http://www9.nhk.or.jp/news7-blog/100/81093.html

地震の衝撃で止まったのではなくて津波の衝撃で止まったことを示す時計の写真が重いです。その40分で救える命があったんです。40分もあったんです。止まった時間が2時46分じゃなかったんです。決して言葉を失ってはいけない職業の最前線にいる人がこの現実を目の当たりにした時に何を感じ取ったのかは私には推し量ることができません。でも、同じ方を向いて戦いたいとは思いました。アプローチは違っても、目指すところを間違えなければ一緒に戦っていることになるでしょう。

青森から帰ってきたら、フジテレビがどうこうで被災地がどうこうでロシア連盟がどうこうであなたの意見がぜひ聞きたいと、意味のわからないメールが届いてて、何が起こってるのかと思ったら、今回の震災でロシア連盟が詩を日本に捧げてくれたとかいうことで、でもそれをフジテレビが紹介しなかったということで、なんかネットでいろんな人が怒ってるらしかった。青森ってそもそもフジテレビ系列入らないんだけど*1、あそこも被災地はあるのよね?つうかなんで別にそんなにフィギュアスケートファンでもない人からメールがきて私がその人に意見しなきゃいけないのかも意味がわからないので、「フジテレビ見てませんでしたまだ世界選手権の録画も見てません」とだけ書いて返信したけどさ。

検索したら特に新聞メディアの記事もひっかからないし、JOCのブログくらいしかオフィシャルっぽいものなかったけど、それも更新5/7だから、むしろJSPORTSのファインプレーだと思った方がいいんじゃないの?そもそもエキシビションじゃなくオープニングセレモニーで披露されたものみたいだし。だったらオープニングセレモニーの記事書いた新聞社とかにも文句言わなきゃいけないよねえ。JSPORTSだって、オープニングセレモニーから時間が経ったエキシビションでなんとか間に合ってやっと紹介できたんだよね?

(前略)
またロシアスケート連盟が作詞した「日本にささげる詩」が会場のスクリーンに映し出され、会場からは大きな拍手が贈られました。

『ロシアスケート連盟から日本にささげる詩』
「地球が傷みで呻き声を発した。自然力の強さで全世界がショックを受け、
命の破片や叫びの一部を水は深海に流した。

しかし、何があっても太陽は東に昇る。地震津波は、光に勝てない。
われわれの神様が地球のみなの生命を保つことを祈る。
桜が咲く公園はたくさんあることを、白樺が咲く公園はたくさんあることを、
鳥が春の歌を歌えることを、旗が勝利の祝いで挙げられることを、祈る。
子供達が大人たちへ祈る。
皆さん、我々はこの地球で手をつなぎ、
1つの家族であることを忘れないでほしい」

http://olympic.joc.or.jp/teamjapan/2011/05/post-ef85.html

私、この詩が紹介されない!とヒステリー起こすより、この、庶民でも日常的に詩に接し創作しているというなんともロシアらしい気遣いから受けた感銘の余韻を壊さないように、存在を知った人が知らない人に伝えていけばいいだけの話だと思うの。マスゴミマスゴミ言って騒ぎながら紹介している人はこの詩にゴミを自ら交えてしまっていることをもっと意識すべきだと思うの。今季のフジテレビのフィギュアスケート中継はクオリティが下がったのは確かなんだけど、この詩に関して騒いでいる人はそういう次元で騒いでないよね?去年も一昨年もフジテレビのフィギュアスケートの扱いはあれくらいのクオリティだったと思い込んでるよね?

私が今季のフジテレビのフィギュアスケート中継で一番気にしていたのはディレクターの木村英輔氏はどうしているのかな?ということだった。
以前に紹介した彼のインタビューで語られていて、彼が大事にしていたことがことごとく破壊されたように思っていたから。
(詳細は過去ログ参照→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20090315/1237089773

でも、フジテレビって、そのシーズンの最後の放送までスタッフロールが出ないのね。ナレーターが増田晋氏から変わったのは全日本でわかっていたけど、それ以外の今季のフィギュアスケート中継の体制がどうなっているのか検索してもわからなくて、そこが掴めるまでそのことについては語らないようにしていた。彼が外れたのか、それとも残っていて何らかの事情で意に添わないことをやらされているのか、それともよかれと思ってこんな方向へ突っ切ってしまったのかがわからなかったから、その事情がある程度掴めるまでは何も言えないと思っていた。それでラスト10分だけ録画できていたエキシビション中継でスタッフロールを確認したら木村英輔氏の名前がなかったので、人事異動かなんかでフィギュアスケートからは外れたんだなあとわかって、ちょっとほっとしました。他の人がやってセンスの違いであんなことになっているのと、彼自身に何かがあっていきなりあんな劣化したことになってしまったのでは意味が違うから。木村氏の遺産を食いつぶして「仏作って魂入れず」みたいなことになっている現在のフジテレビのフィギュアスケートの扱いに対して何か言っても、もうあれはセンスの問題だからどうしようもないよ。それでもどうにかしたいのなら、今まできちんと愛情を注いでこのコンテンツを育ててくれた木村氏に感謝の念を捧げて、彼の新天地での活躍を願いつつ、今現在関わっているスタッフのプライドを傷つけないように配慮しながら地道に冷静に対案提示しながら改善要望出すしかない。それができる人が「ネットで大騒ぎするファン」にどれだけいるのかわからないけれども。

数年来思っているのは、誰のファンが痛いとか気持ち悪いとかいうのって違うなあ、人は何かのファンになった時点ですべからく痛く気持ち悪いのだ、ということです。「ファン」という言葉を隠れ蓑もしくは錦の御旗として、下から目線のようでいてひどく傲慢な要求を平然としてのける行為について、非常に残念に思っていて、私はやっぱり「ファン」でありたくないなあ、いつまでもその立ち位置にしがみついてないでそろそろ「ファン」卒業しよう、と心に決めてもいました。「ファン」という目線でその言葉に甘えて誰かに偉そうに言えるお前は何様だと、そんなに偉いのかと。リスクを背負わないで誰かを消費して幻想を抱いてそして勝手に幻滅するような、そんな残念な存在であり続けたくないと。誰かの表現するものに感銘を受けたら、きちんと一個人として匿名ではなく自己の存在を打ち出してその気持ちを同じ目線で共有して伝えたいと、ずっと思ってもいました。そのための戦いへと旅立つ準備が整うまでひたすら待っていましたが、やっとその時がきたようです。
「ファン」として一緒に戦おうと必死に伴走してきたことで学んだ全てのことは財産になりました。ただ、ファンとして入れあげている対象に自分を投影してしまったり自己同一視が過ぎてしまうことも特に私は多々あって、それは不健全だなあ、その対象の戦いは結局私の戦いではないのに、その対象が成し遂げてしまうと私まで成し遂げた気分になるのは危ういものだなあとも常々感じていました。なので、私は私できちんと自分の戦場で格闘することで「一緒に戦う」という形をこれからは取ろうと思っています。武田真一アナウンサーや木村英輔ディレクターが各々の持ち場で戦っているように、あんなフィギュアスケーターやこんなフィギュアスケーターも戦っている、そして私も戦っている、そういう形で共闘したいです。気付いたら30半ばになっていたのに海の物とも山の物ともつかないままの私ですが、全く未知の領域へ踏み出す勇気をくれた人々への感謝の気持ちを忘れずに戦い続けたら、いつか同じ場所で集うこともできるのではないかと希望を持って出立します。

*1:祖父母の家は岩手にかなり近いのでめんこいテレビは見られる