ペースとスペース

この数ヶ月何やってたのか振り返ろうとブログチェックしてみたらブログも書いてないや。
ということで、一生懸命思い出して書き付けておく。
・五月:青森の祖父母のところにいってあとは淡々と仕事と療養
・六月:小説書きながらあとは淡々と仕事と療養
・七月:女子サッカーとちょっとだけコパアメリカ見ながらあとは淡々と仕事と療養
・八月:レイ・ハラカミ松田直樹の訃報に衝撃を受けながら友達とその娘のところにスイカもってって花火やってフレンズ・オン・アイス見に行って高校の同級生と会った以外は黙々と仕事と療養

八月の後半に入るまで、病院とかヨガとか健康維持以外の用事では外に出ていなかったことが判明しました。
多分、友達に会うとかは4ヶ月ぶりくらいだったんじゃなかろうか。ちょっとびっくりした。
フレンズ見に行って幸せな気分になったからこれでまた充分に療養できるぞ!とかいう感じで、結局引きこもる時間を膨大に確保しないと生きていけないという。でもそれで何とか楽しく生きてきているので、まだ新しい環境に慣れてない皆さんも周りに乱されないで、自分のペースを見つけてください、ってすごく思うんです。

突然何もかもを失って着の身着のまま飛び込んだ仮設住宅暮らしみたいなことを私は8年くらい続けてるんですけど、何もかもを失うって物だけじゃなくて心の結構な部分も削られてると思うんですよ。だから、あせらないで、しばらくは、ただ生きてるだけでいいと思うんです。
17年ぶりくらいに高校の同級生と会う機会があって、お互いのここまでの歴史をいきおい語ることになるんですけど、そういう風に話をしながらそう思いました。どんな形であれ誰かが生きてれば思い出話はできるから、今日も呼吸をしている、すごいな、くらいにハードルを下げてもいいんだと思います。自力呼吸ができてることだって充分に素晴らしい生きる力を持っているということだから。

これからは身辺整理をきちんとするくらいの力は湧いてきそうな気がするから、部屋の掃除をしよう。着の身着のままで飛び込んでくると、どうでもよくなってほんとに部屋の掃除とかしなくなるし、それでもなぜか物は勝手に入ってきたりもするので収拾つかなくなるんだけど、それがこの部屋から脱出できない一因だとやっと気付いた。毎日の生活で掃除をする、という余裕がやっと生まれてきそうです。8年でそんなもんなので、まだ半年も経ってない人達には時間の感覚をとても長く見据えることを受け入れてもらって、今はまだ何にもしなくてよいようにするのが支えるということなのだと思いました。女子の友情に触れてなんとなくまとまらないけど、そういう話もしてないんだけど、感覚でそう思った。削られた部分に余計なものがこびりついてしまって私はそれを落とすのに難儀したので、そこをとりあえずは余白のままに保てるように、できればその部分に前よりも煌めくものが備わるようにサポートするにはどうしたらいいか、なども考えたりしています。