若者と臆病さ

marginalism2012-05-30


以前、とある場所でとある若者の振る舞いに対して英語圏の女性記者が「Poor Youngness」と一言でその行動を切り捨てた場面に遭遇したことがあります。日本語にしたら「青臭い」とかそういうニュアンスで言ってるのかな、と周囲の喧噪をよそに、即座にそう言える経験値に感心して、その人と色々話したいのに言葉が出てこない己の哀れな英語能力を嘆いたものでした。その「Poor Youngness」の一件が妙に印象に残って、その後英語の勉強をし始めたという経緯もあります。

5/24の<浜離宮朝日ホール開館20周年記念公演>〜世界に羽ばたく新進演奏家たち〜Vol.1 宮田大 チェロ・リサイタルの現場まで足を運びました。
そこで私は英語の勉強を始めるきっかけとなった「Poor Youngness」のニュアンスとはまた違った「Poor Youngness」を感じることになります。最初に耳にしたシチュエーションの時は血気盛んな若者の大人げなさについて語っていた言葉ですが、今回は若さゆえの経験不足からくる臆病さに対してその言葉が響きました。才能には何の問題もなく育ちが良く周囲から大事にされてきたからこそ、その期待を裏切りたくないという臆病さ。一見優しそうに見える態度ですが、それは周囲を傷つけたくない、なぜ周囲を傷つけたくないかというと自分が傷つきたくないからという逃げの態度です。自分が本当に弾きたいことより周りに見捨てられたくないという媚びが少々ちらつき何とも歯痒くなりました。
私、チェロの音が好きで、チェロを弾く人の所作も好きで、でもどうも自分にジャストフィットする音を持ったチェリストを見つけられない時に彼を知って「あ、これだ」って、この音が聴きたかったんだって、鳥肌立ったので、もっと堂々としていて欲しくて、もどかしくなって。
でも、不思議なことに、その歯痒さ・もどかしさを一番感じているように見えたのが彼の楽器だったのです。斎藤秀雄先生のものだけあって彼の魂が楽器に宿り同じように怒っているのを感じて、あ、斎藤先生、楽器を通してまだまだご健在なんだなと、なぜか嬉しくもなりました。テストーレが機嫌損ねたり持ち直したりしているのが弾いてる本人にある意味一番伝わってないんじゃないのか、というところがスリリングで面白い関係でした。チェリストとしての動作って棒振り技術にも役立ってたんだろうなとも感じました。斎藤先生が楽器を通して未だ指導者としてご健在であることに泣きそうになり、それは個人的な記憶も呼び起こします。

高校生の時のバスクラリネットの後輩が亡くなってからしばらくしてやっと帰省できてその子のところにお線香をあげに行けた時、彼女と一心同体のようだった楽器にも触らせてもらいました。10代の時の私達は自分の楽器とそれぞれ一心同体のような毎日を過ごしていました。よくこの楽器と合わせてもらったのに、もうこれを吹く人がいないんだということを実感し、私は自分がもう楽器を扱えない*1という事実も含め喪失してしまったものの大きさや尊さがあまりにも圧倒的だったので意味がわからなくなっていました。そして、何よりもその楽器を愛していた彼女のお母様に、私は深いことを考えもせず「この楽器は誰かに吹いてもらった方がいいですよ。その方が絶対喜びます」って言ってしまったのだけど、お母様は複雑な顔をしているだけで、20代の娘を突然失ってしまった母親の気持ちというのを全く慮ることなく、無邪気に熱心に楽器の貸与を勧めてしまったほろ苦い若さや、高校の楽器庫にまだ私の相棒は残っているのだろうか、誰か違う人の癖をつけて、というようなこと、そうだ、楽器を誰かに貸与するということは、元の持ち主とは違う癖が楽器についてしまうことだ、でも誰にも使われない楽器はただ死んでゆくのみで、演奏者と一緒に楽器が死んでゆくことを選ぶか、他人に貸して元の演奏者のことを忘れていくことを受け入れるのか、どちらかを選ぶことってシビアな現実だなと、でも目の前で鳴ってる楽器は例外すぎてちょっと楽器がドン・キホーテで演奏者がサンチョ・パンサのようになっている関係性に笑って少し嫉妬して、この若者を育ててくれるんだなという安心感と、自分の思い出がマルチタスクで走っていて大変混乱したし疲れてしまった。

私はカルテットの方の番組は何度も見逃してしまって、最初から見れた試しはまだないのですが、「小澤征爾さんと音楽で語った日〜チェリスト・宮田大・25歳〜」こちらの方は再放送を捕獲して最初から見ました。見終わってなぜか頭をよぎった単語が「スズキ・メソード」で、なんとなくHP検索してみたら、宮田大さんここのOBで驚いた。
http://www.suzukimethod.or.jp/
http://www.suzukimethod-obog.com/news.html
「話すように」っていうのがキーワードだったのかな。ともあれ、スズキ・メソード出身ということで、色々腑に落ちた部分はありました。彼にはとってもこのメソードが合っていたんだと思う、でも、スズキ・メソードに象徴されるような母語の環境から離れる必要があるフェイズに入っているんだなとも思う。
番組を見ていて気になったのは、彼の英語がものすごく日本語(母語)発音だということ。耳と口が日本語のダイナミックレンジにしか対応できていないということ。それは彼の奏でる音にもダイレクトに反映されてしまう。西洋音楽を生業とする人にとって音としては単純な作りである日本語にしか耳が対応できていないのは大きな壁になる。母語を喋るような発音で他言語も話すというのは音を専門に扱う人としてはいささかまずいように思います。母語の殻を破って他言語を身につけるようなことをしてほしいなと思いました。あれだけ弾ける人ですから当然耳はいいはずなので、意識がそこに向いてないだけなんだと思うんですが、それが大きな問題であるとも言えます。音はもう充分すぎるほどにしっかり作られているので、そこに違うカルチャーの彩りが入るともっと化けるはずなんだ。でも本人がそこに無頓着そうなのが、彼のイタリアでアメリカの楽団と合わせていた時の笑顔にも感じました。あれは典型的な「外国人から気味悪がられる日本人の曖昧な笑顔」だ。衝突することも厭わないで自分の主張を通していくのがやはりあの局面では大事だったように思う。「わからない」ということを人間は怖がる。「日本人の曖昧な笑顔」は特に西洋の人間には「わからない」。でも「わからない」と思われていることがわかっていない。あそこでの齟齬はその悪循環にはまっているように見えました。彼は留学していてもどこにいても、意識が日本にいる時のままで、外国人対応用に切り替わってない。違うカルチャーの中に乱入することなく、 そこで主張することを怖がっている。主張することはそんなに怖いことじゃないよと、彼より少しだけ大人な私は言いたい。私は裸で舞台の上に立っている人を見たいからイベントに足を運ぶんです。裸で立つことは怖いし恥ずかしいことだ。でも、舞台の上に乗っているのに中途半端に隠したりすることはもっと恥ずかしいことだ。
ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の第3楽章の弾き始め、そのボーイングに私は高橋大輔のスケーティングを見た。彼の滑り始めと完全に一致。私が好きなのは端的にこういうものだ。その瞬間、全てが溶解する、そういう感覚を味わうために現場に行く。そのためだけに行く。そういう瞬間は何度もあった。だけど、完全に心が離れてしまう瞬間も何度もあった。本当にあなたはそうやって弾きたいの?それはもはや音楽じゃなくてただの音だ、と思うような場面もあった。その度に私はチェロを凝視した。気難しそうな気位の高い魂が語りかけるものの方に集中した。

宮田大が楽章の始めに目をつぶって集中している姿は好きだ。目をつぶると聴こえてくる風景がある。かつてそれは私も経験したことがある。リサイタルが進んでいくうち、一緒に目をつぶるようになって同じものを感じているような気にもなった。願わくば、リサイタル中ずっとそんな感覚を味わいたいなあと、できるポテンシャルは充分に持ち合わせている人なだけにもったいないなあと帰り道ずっとグールド聴きながら思ってた。

別にグールドになれとは言ってないけど、このくだりは少し参考になるかもしれないなとも思う。

グールドはより奥深く楽器の孤独に分け入ろうとした。裸の演奏をすること。楽器は惑わせると彼は述べている。ここに装飾的役割の消去がはじまり、バッハにおける装飾音を装飾音ではなく、ほかのフレーズと同じようにメロディとハーモニーをそなえた音として演奏することがはじまる。装飾音が必要であり絶対なくてはならないことを確認するために、ゆっくりとした語り口で、ほとんど一語一語発音され、分解されたうえで演奏されるのだ。その結果、あの通りペダルは使われなくなる。ペダルは音に衣装を着せて覆い隠してしまうからだ。彼が望んだのは、音楽の身体が、死を迎えるときのように、すべての虚飾を脱いで裸になって、肉体の貧しさに立ち戻りながら深みに沈み込んでゆくことだった。
(『グレン・グールド 孤独のアリア』第14変奏より)

グレン・グールド 孤独のアリア (ちくま学芸文庫)

グレン・グールド 孤独のアリア (ちくま学芸文庫)

*1:腱鞘炎と顎関節症を高3になるかならないかの時点でこじらせていたのに休む勇気はなかったので、高校卒業したらもう二度とピアノもクラリネットも他の楽器も演奏できなくなることは何となくわかっていた