等しく陳腐に

ひょんなきっかけから日曜日、麻草さん(id:screammachine)の出演する演劇『ムチムチニョロニョロ』を観に行ってきました。
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http://ameblo.jp/muchi2nyoro2/
とにかくまあ人が死ぬ。テンポよく人が死ぬし殺したり殺されたりしてる。これ最後どうやってまとめるんだろう?と思ったら人が死んで終わった。謎の生命体とかいうものについても放り投げっぱなし。
で、それが不快かというとそうでもなく、練り抜かれてそうなっていることはわかる作りになっていたので面白かったし圧倒されたし考えさせられたし何よりも長年抱えていた自分の悩みやトラウマみたいなものから解放されて肩の荷が降りて楽になってしまったというごく個人的なサプライズ事象まであり、終わった直後に会った麻草さんにうまく感想が言えなくて「みんな声がすごかった」って言葉が足りないにも程があることを口走って劇場から去っていったんだけども、あまりの情報量にその場ですぐ感想を言語化できなかったんだよね。
「声がすごかった」っていうのは、ああこれ東京ローカルノリだ、ビートたけしの登場で知った浅草芸人のノリだ、田舎者の幻想の都会としての『東京』じゃなくて、幻想の下のそこで生まれ育った人間が持つリアルな東京土着のテンポとノリだ、ということが言いたかったんだよね。北野武が『ビートたけし』や『ツービート』を名乗ったのがよくわかる速さで罵詈雑言をストレートに応酬し、それがどんどん加速していってリズム食い気味になってもう崩壊するかしないかのところでテンポよく放り投げて終わるっていうのは東京というか江戸っ子ですよね。江戸落語もそんな感じ。あれだけひどい言葉をまっすぐに応酬してるのに全然軽い。からっとしている。謎の生命体が現れても概ね適当に受け入れたり流しちゃったりして立ち止まらない。そんな中で死にたい死にたいとか言ってた重めな役割の人たちだけが生き残っていくっていう皮肉もよかったです。その皮肉すら大して重くなくて割とどうでもいい感じに放り投げ出されてて。題材一つ一つ掘り下げてくとそれだけで重々しい話にできたり謎の生命体ってものをフィーチャーしてとことん不条理劇にしていくっていう手もあるだろうし、私が自分でチョイスして観に行くのはそういうものが多いんだけど、ちょっと自分の生来のリズムとはかけ離れたビートを浴びて、誰かの重い話は他人にとってはなんて陳腐で滑稽なんだろう、って、それをとことん見せつけてくれてすごく救われた。あーそう大変だったね可哀想だねーじゃあお茶飲む?ってそういう突き放すでもなくドン引きするでもなく腫れ物扱いしすぎるわけでもなく一通りの面倒はみるけどそれが終わればただただ流して行くノリが新鮮で、うかつにも感動しそうになってたんだけど、いちいち立ち止まって感動してるともう次の展開についていけなくなっていくし、そもそも感動なんていう重さすら江戸っ子の粋に水を差すようで似合わないので、その場で受け取ったものを消化できなくて終わった直後にはほとんど何にも言えなかったのでした。
自分の悩みを客観的に他人が語って演じてるのを見て、なんてありふれたことで自分は悩んで苦しんで一人で勝手に重くなってたのかな、と思ったら心の底から馬鹿馬鹿しくなって、長年のトラウマから解放されて、お芝居に罵詈雑言は溢れ返っているけどそこに嫌みはないから素直にそれを受け入れられて、そのことには本当に驚きました。
謎の生命体っていうものも、受け取る側の鏡だったり象徴だったりするんだけど、そういうことをもっともらしく小難しく分析するのは私が受け取ったここのお芝居のテイストに合わないから、まあそんなもんだよね、と受け流すことにします。トラウマから解放される時って泣くもんなのかなと思ってたら、泣くとかまたそんなベタなねえ(笑)、みたいな感覚になったから、そしてその(笑)が特に意味を持つ重さや軽さを伴わない流し笑いだから、ちょっと私はまだこの自分の感覚に慣れていないんだけど、戻ることもできないので、戸惑いつつも何とかこれを普段遣いの感覚として浸透させて行きたいな、というかそういうこと書くのすら重くて、まあなんとかなるんじゃね?ってそんくらいのもんです。長らく伸ばしてた髪をバッサリ切ってはーすっきりした、くらいのもんですわ。

ちょっとこれからは友達が何かやるって時にもっとフットワーク軽く出歩くようにしたい。楽しかったです。自分の価値観に凝り固まってないで他人の価値観に触れることは大事だなと思いました。違った視点から物事を見ることで現在進行形で目の前がものすごく拓けて行ってるので、こうやって変わっていくことはこわくないんだなーって不思議に思っている最中です。