Do you remember?

marginalism2013-12-16

腱鞘炎やなんやでほとんど何も書かずにいた今年、私は何をやっていたんだろう?とここに書いておかないと忘れてしまうような気がするので手帳を見つつ備忘録として。
1月:仕事の合間に本を売るための営業や相談をしつつ、電子レンジが壊れてひもじくなってたら友人が使ってない電子レンジを送ってくれて*1舞台を観に行った。面白かった。江戸の笑い、東京=江戸ということを考えた。お湯が出ない風呂無しアパートでは歯磨きなどで水が冷たい時とかいちいち沸かす気力も出ないので電子レンジは大切なライフラインであった。
2月:仕事の合間に本を売るための営業や相談をしつつ、確定申告やら何やらで心が折れかける。そんなところで営業も何もしていないヴァニラ画廊さんから「MILLE-FILLES」を取り扱わせて欲しいとの旨のメールをいただき復活というか逆転(タコシェで見かけて購入してくれたそうで大変ありがたく泣きそうになった)。ひらくさんの描いてくれた表紙イラストを額装する。
3月:仕事の合間に本を売るための営業や相談をしつつ、森茉莉の本を読んでいたら、森茉莉在学中の大正時代からうちの学校*2タブリエがあると知って仰天する。制服より古いタブリエパイセンパネエ。描写から察するに大正時代から形が変わってないタブリエパイセンパネエ。何かと便利なので上京する時に持ってきたタブリエが現代の田舎の庶民の娘の私と明治の文豪の山の手の娘の森茉莉をつないでいることに驚愕しつつ風呂無しアパートで片づけもろくにできなくてそのくせ他人に厳しいところとか、何かと認めざるを得ないものがあり諦めて受け入れつつ大学の同級生とご飯食べたり飲めもしないのに一人で銀座のバーにいったり一緒に本作ってくれた何人かと渋谷のオイスターバーにいったり花粉症にも関わらず当人比で豪遊していたようだ。
4月:ヴァニラ画廊さんの『森茉莉生誕110年記念「甘い蜜の部屋」展』(http://www.vanilla-gallery.com/archives/2013/20130415.html)に寄せて文章書いた。これに合わせて町田ひらく先生の『MILLE-FILLES』表紙ポストカードも作った。
http://www.vanilla-gallery.com/vanilla-gahou/topics/2013/04/-110.html
このために3月は食わず嫌いだった森茉莉を読んでいた。
あとヴァニラ画廊さんのサイトに制作ノートのようなものも掲載していただいた。ありがたいことです。
http://www.vanilla-gallery.com/vanilla-gahou/gahou/2013/04/mille-filles.html
その他は仕事の合間に本を売るための営業や相談をしていたような気がする。
5月:弟一家と野毛山動物園に行く。義妹の「なんでこんなところが無料なんだろうね?」という呟きに姉弟で「税金」と突っ込む嫌らしさを発揮。スギからヒノキの花粉症ロングランがようやく収束する季節になったにも関わらず一向に症状が止まらずハウスダストを疑いダイキンの空気清浄機購入。そして見かねた友人が誰もいれたことのないこの部屋にやってきて掃除をしてくれる。このあたりから腱鞘炎の悪化は気になっていたが、それほど配慮せず後々悔やむ。地下アイドル現場というところにも潜入してみて「あまちゃん」と比較したりしてたかもしれない。その他は仕事の合間に本を売るための営業や相談をしていたような気がするが、このあたりから心が折れ始めていたようだ。見本誌送るのに直筆のあいさつ文や宛名書きが腱鞘炎で辛くなってきていたのに無理するから後々悔やむ。
6月:1日にアート・オン・アイスに行ってる。安藤美姫復帰をみていたがもちろん出産後など気付いてはいなかった。実は一番印象に残ったのは藤井フミヤの立ち振る舞いで、とりあえずデカい案件は藤井フミヤ石井竜也か、みたいな風潮の意味を理解する。フミヤは自分がここでは主役ではない、むしろアウェイであると立ち位置を理解しているので、とにかくスケーターをたてまくる。この人、アーティストアーティストしている人と比べると、とっても仕事がしやすい人なんだろうと思う。相手が求めているものが何か読み取って、納期を守って、こんな感じでいかがですか、と出してくるものが、ある一定のクオリティを超えているなら大きな案件を安心して任せられるなと。商業ベースでやるエンターテインメントの適温を理解している仕事ができる人なんだなと思った。8-10日は従妹の結婚式で苫小牧と札幌へ。苫小牧での結婚式後、札幌まで高校時代の部活の同期などに会うため駅に行ったらJR苫小牧駅のオワコンを通り越した荒涼さにサグい!と言いつつ、数ヶ月後の一連のJR北海道の騒ぎを予見していたようだ。JR北海道のヤバさは充分すぎるほど漂っていた。札幌は楽しくて良い街だと思うけど、札幌って観光どこ行けばいいの?と札幌在住者・出身者に訊ねたら「函館出身・東京在住の女性に薦めるところなどない」と全員から言われて、実際行ってみて納得する。久々に訪れた札幌は、ほどほどに何でも揃ってるファミレスのような街だった。でも何もはみ出していないような街だった。何でも平均点より少し上程度のいい人すぎてエッジが効いてないので逆に疲れることもある、そんな街。私のようなはみ出しっ子・落伍者でなければ丁度住みやすい街なんだとも実感しました。 そして月末、本を売るための相談をしているうちについに心ポッキリ折れた。
7月:14-15日、青森の祖母の米寿お祝いで一族勢揃い。東北新幹線で行くと意外と近かった。この頃には甥っ子が私を完璧に認知してた。弟やいとこの子供達を含めると相当な勢力になっていた。普段93歳と88歳の二人暮らしの祖父母がちんまり座ってひ孫が旅館の宴会場走り回っててNYからも末娘とその子供がやってきて、楽しそうで良かったです。旅館に久慈琥珀のテナントが入っていて明らかにあまちゃん便乗商法をやっていたので「青森なのに久慈琥珀なんですか?」と訊ねたら「同じ南部地方ですから!」で押し切られる。青森というか北東北の津軽vs南部対立は相変わらず根強い。「勉さんの琥珀ってことでいいですか?」「はい、大丈夫です!」とも言われたのでイヤリング買ってもうた。その後、久々に会った一つ下の仲良かった従妹と旅館にくっついてた寺山修司記念スペースみたいなところではしゃいで私も楽しかった。30代半ばでキャッキャキャッキャ二人の世界作ってて3歳の頃と変わらないと言われた。全く離れて育っているのに、寺山が〜ボードレールが〜ランボーが〜とか延々と二人で語ってるから他の親戚が入ってこれなかったようだ。その従妹は新潟で育っているので流れで「今週末Noismの静岡公演行くよ」と言ったら、「今週末、りゅーとぴあには山海塾くるんだよ!行きたいんだけど子供任せられる人いないんだよねー」と言ってて、りゅーとぴあ芸術監督の金森穣のブッキング抜かりねえ!留守を山海塾に託してる!と隙のなさにビビった。その興奮覚めやらないまま帰京そして土曜日静岡でNoism鑑賞。G.F.G.S. MAGAZINE vol.1購入。金森穣5万字インタビューの小澤征爾のくだりで、クラシック音楽畑ではあんなに後進指導に熱心なのに、他の畑の人間に対してはこんなもんなのかな?と思ってたら今年のサイトウキネンでジャズ畑の大西順子に対しての態度が非常に剣呑であり、語っていることがわかるような気がした。これ、多分、金森穣サイドに少しわかりやすく伝えるなら、例えばベジャールゆかりのダンサーやスタッフが集まってベジャールメモリアルみたいなフェスティバルをやってるところに畑違いの若造がいきなりポンとやってきて新機軸を打ち出そうとしたらどうなるか、ってことになるんですよね。でも小澤征爾のオペラ演出に関しては常々センスを疑っていたので、金森穣にもっと任せた方が私は良かったと思うんだけど、サイトウキネンという場でそれは難しいかもな、とも。自分が無自覚にクラシック畑の意識で見てきたことを違う角度から照射されて気付くこともあり、大変面白かった。フィギュアスケートに関してのくだりは、話し相手は「単純に見たい」というような言い方だったと思うんですが、私は、高橋大輔安藤美姫の肉体を使って、アイスリンク・スケートという普段の板とは全く違う環境で金森穣のコリオグラファーとしての可能性も、高橋大輔安藤美姫の可能性も(この二人の個性が金森穣の個性には合うと思う)、フィギュアスケートの可能性の枠を広げることもできるのではないかと思っているので、競技ではなく純粋に芸術性を追求できるエキシビションアイスショーのようなもので見られたらいいなと願ってます。コンセプトから一緒に作り上げてみてほしいなと。ロイヤルバレエが「スケートをする人々」という演目をやっているのをテレビでみたことがあるんですが、スケート描写は上半身固定で動きに制限をつけて板の上で表現してて、滑るということは滑らないところでは肉体に制約を与えることでそう見せるのだな、と思った時に、私がバレエよりフィギュアスケートに子供の頃に魅入ってしまった原点は「白鳥の動きがバレエは嘘っぽいけどフィギュアスケートは本当にスーって湖泳いでる白鳥みたい」というリアリズムにあるので、スケートでなければできない表現というものを金森穣なりに突き詰めて欲しいという勝手な願望がありました。
G.F.G.S. MAGAZINE(http://www.gfgs.net/magazine/)面白いので、興味がある人々はどうにかして手に入れるといいかと思います。あと、流通に載らないリトルプレスって本当に営業大変ですよね…これだけ置いてもらってるのすごい…
8月:1-2日にNYから一時帰国中の叔母を東京案内。歌舞伎座ついでに岩手のアンテナショップでレトルトまめぶを買う。叔母はNYで毎日「あまちゃん」を見てるということでNYに持ち帰って向こうの日本人社会で自慢するという。その後末広亭連れてっててんぷら食べてホテル一緒に泊まって翌日NHKスタジオパークに連れていってまたまめぶ食べる。基本、南部地方の舌なので、まめぶを普通に美味しくいただきました。あまじょっぱいの大好き。後はひたすら夏に無条件降伏しながら私には営業無理!とAmazonタコシェさん、ヴァニラ画廊さん、銀座モダンアートさん、ジュンク堂梅田店さん、信愛書店さんで(あとポストカードは北九州のパン屋ちまちまさんでも)お求めくださるのをお待ちしております!と倒れないようにとにかく飯食ってた。
9月:友達が誕生パーティーを開いてくれた。今まで生きてきて初めて友達にそんなことをされた。そして甥っ子その2も義妹も私と同じ9月後半生まれなので祝いにいった。あとは仕事以外は倒れてたんじゃないかな。腱鞘炎が悪化して焦る日々。10月から仕事が一つなくなると半月前にいきなり言われてうろたえる日々。
10月:大家さんの銭湯店番なくなる。収入やばい。ストレスやばくて体調崩す。体調崩して医療費かかる。お金なくなる。収入やばい。母親が甥っ子の面倒見にきたついでに東京見物したいと言ってきたが、母親も甥っ子が元気すぎて体調崩して東京見物できずに帰る。心身共にダメージきつくて陰毛が円形脱毛症になる。毛髪ではなくてここに円形脱毛症がくるのかと感心する。本の営業と売り子は放棄。「パニック障害やら色々抱えてるのにここまでやったのはすごい頑張ったよ」と、ねぎらいの言葉をかけてくれる友人に泣きそうになる。泣いたかもしれない。あとは甘えて友人にお任せする。あ、あと「さぶん市」という高野文子さべあのまさんの個展に行きました。そのあと国立天文台に行くという人について行ってみた。面白くて濃い一日だったけど、ここで気力体力激しく消耗した。情報量を捌ききれなくて知恵熱が出るのどうにかしたい。
11月:友達の娘が盲腸で入院というので冷やかしがてら見舞いに行ったら親戚面してやがる私がいた。入院している病院行く前に自分のかかりつけ病院で検査受けたら子宮筋腫できてた。そして肝臓がγ-GTP381という数値をたたき出して私が下戸で酒を一滴も飲めないと知っている医者が不可解な顔をしている。後に吾妻ひでおの『アル中病棟』読んだらγ-GTP500で自慢している患者がいて不可解な顔の意味理解。6月7月と旅に出た上に夏に突入してるからやせる暇なかったまま脂肪肝になったぽいから現在食事制限発動中(明日12/17日再検査)。10月から『ちりとてちん』『ごちそうさん』『ちゅらさん』朝ドラ3本ノックをやって比較すると、だいたいのイベントの時期が一緒で朝ドラテンプレの出来とその枠の中での作家性の違いなど色々興味深い。フィギュアスケートはテレビでそれなりに見てます。フィギュアスケートに詳しくない人と見ると地上波放送の余分だと思っていたところこそフックとして重要なんだとわかり地上波編成の苦労がわかった。
12月:甥っ子その1の誕生日に張り込んだ。血液検査の結果が芳しくないため改善のため1回2500円のヨガにはかいがいしく通っているが、それも含めて医療費がとにかくかさんで何もできない。飲み会一回で薬1シート、とか医療費それくらいかかるから…ただ、腱鞘炎が半年くらいかけてやっと回復してきたので少しブログ程度なら書けるようになってきたかな、と今試してみた。タイピングがまだつらい部分もあるので、もう少し養生しなければならない。6月末に心が折れてから、言葉が手のひらから砂のようにこぼれ落ち続けていって、最初は出ていかないように引き止めていたけど、今はなすがままで流れに任せている。散文は無理だな、媚びる文章も無理だ、単語もよそ行きではなく普段着、おさんどんのようなものを使って紡ぎたい、など、少しずつ気付きつつも、その間にもどんどん自分の体から語彙やテクニックが消え去ってゆく。砂を出し切るまで書いちゃいけないんだろうなと思いつつ、まだ口の固いアサリが残っていて吐き出しきれてないため、準備が終わってないのだなと思っています。

1年を通して振り返ってみると、本を作るのはできても売るのは向いてないんだなあと思ったので、もしかして一人でも出版社とかできるんじゃないかというのはやっぱり無理、営業は最低限必要という結論になりました。YOSHIKIか私かというくらい倒れてまして、現在あまり動けないため、外で見かけるチャンスも少ないかとは思うのですが、気が向いたらこちらをどうか手にとっていただけたらいいなと思います。

MILLE-FILLES

MILLE-FILLES

*1:結局どこかの配線がおかしくなったのでAmazonに頼った

*2:厳密にはうちの学校法人。発祥の地は私の地元だけど、学校設立は東京の方が少し早いはずでなんだか色々曖昧。制服は全国一律で東京の仕立て屋にオーダーする