Je suis persécuteur

marginalism2016-03-31


ボストンワールドには行けないけれど、せめてもの予習を兼ねて、ほぼ飛び込みのような形で平山素子「Hybrid -Rhythm & Dance」3月25日公演チケット取って駆け込みました、と思ったら今回は平山素子の指導受けてる村上佳菜子選手は代表入りしてなかった…あ、でもきっと同じチームの宇野昌磨選手も指導受けてるよね?と気を取り直して観ました。
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006136.html

コレオグラファーとしての平山素子は逐語的というか逐音的な人なんですね。ジャッジがいてある程度のわかりやすさを求められる採点競技の指導をしているからか、もともとそういう人だから採点競技の指導に向いているのかは掴めなかったのですが、シンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートの魅せ方に長けていることは伝わりました。そしてコミットの度合いがフィギュアスケートよりシンクロナイズドスイミングの方がよっぽど深いことも伝わってきて、フィギュアスケートの予習をしに行ったつもりがシンクロナイズドスイミングの予習になってしまった。コンテンポラリーダンスにシンクロナイズドスイミングの文法をかなり大胆に取り込んで、陸でああいう表現をできること、芸術スポーツの芸術性の可能性を広げていることには興奮したので、いずれはフィギュアスケートの文法もああやって取り込んで欲しい。いつか私はコンテンポラリーダンスでツイストリフトを観て驚きたい。会場行くとペアの選手が陸でツイスト練習してるから可能だと思うんです。今回はフィギュアスケートの影は薄くて、カップル競技のリフト的な感じ?いやでもあれはもともとフロアダンスからの持ち込みの部分もあるよな?とか、これはフィギュアから?シンクロから?と、疑問符がつくようなものでしか感じられなかったので、シンクロナイズドスイミングのように明らかにあの動きを持ってきた!というものをいつか観たい。
わかりやすかった分、素材を充分に活かしきれているだろうか、というのがうまく消化できなかった部分もあって、チャラパルタという遠目からだと原始的なマリンバのような楽器の上で踊るシークエンスがあったんですが、これ「楽器の上で踊ったら面白いよね」以外のことが伝わってこなかったんです。とても魅力的な楽器を知れたことは良かったし、その楽器の上で踊るのは確かに面白いんだけど、必然性がわからなかった。面白い、だけで充分だと私は思えなかった。言葉にできない・語りつくせない想いを表現できるからこそ踊っているダンサーを生で観たい私にとって、これは言葉で説明できることなので物足りないところがあった。現代社会においてはわかりやすさを求められすぎて疲れてしまい、舞台上で自由に難解と言われがちなことをしている人が好きだから、羨ましいから、勇気付けられるから、コンテンポラリーダンスの会場まで足を運ぶ。わかりやすいものを求めるなら芸術スポーツやクラシックバレエを観れば事足りるから、そこからこぼれ落ちたものを観たい。純粋に踊りだけについて考えるとそういう部分があった。

でも、公演自体においては「こぼれ落ちたもの」というより、私が「こぼれ落とさせたもの」を突きつけられて、そのインパクトが強すぎてそこにリソースを割かざるを得ませんでした。

床絵美のアイヌの歌。略奪され迫害され、そして絶滅寸前まで追いやられて保護対象にさせられた民族の歌。透き通った美しい繊細な歌。こういったものを略奪し迫害し、絶滅寸前まで追いやったのは私だ。私はそうやって北海道に住み着いた和人の子孫だ。在日コリアン被差別部落という単語を見ても皮膚感覚でわからない土地で私が受けた人権や差別の授業の題材はアイヌ民族の話だった。しかしアイヌすら既に遠い存在で、オールナイトニッポン土曜2部を聞き終えて始まるアイヌ語講座を土曜と日曜の境目に、夢か現か幻か、くらいのぼんやりした感覚で耳にしていた記憶しかない。そんな茫洋としたイメージを打ち破って突然目の前にはっきりと現実に生きている存在としてアイヌが登場した瞬間、自分の加害者性が露見されて極度に動揺した。床絵美は別に自分が被害者だと訴えているわけでもなく、私を加害者だと糾弾しているわけでもなく、ただ繊細に美しく旋律を奏でているだけだ。だからこそ辛かった。私や私の周囲や私の祖先はこういう美しいものを奪おうとしていたし、現在もなおしている。現存する民族として認識していなかったとはそういうことだ。スティーヴ・ライヒの「Different Trains」のラストに使われている、ドイツ兵が声の美しいユダヤ人の少女を収容所で歌わせ拍手してアンコールをせがむ、というエピソードを私はおぞましいものだと思っていた。悪気がないからこそ生まれているドイツ兵の暴力性に腹を立てて、ユダヤ人の少女はどれだけ恐ろしかったことだろうと悲しくなり、これを「美しい光景」と解釈する人間の多さに暗澹たる気分になった。なのに私もまたドイツ兵だったのだ。常々加害者が自身の醜悪さを「和解の美しさ」と摺り替えごまかす行為に対して批判していたからには、ああいう行為をせず、せめてもの誠実さを失わずに関わりたいと五感をそらさずそこにいた。苦しかった。だけど絶対逃げたくなかった。逃げたら私を傷つけた人間と同じになってしまう。そっちの方が嫌だった。

帰途、今まで自分がやってきた行為が反転して刺さってきて、何てことをしてきたのだろうと恥じた。私から逃げ出した人たちのことも思った。さぞかし苦しかったことだろう、逃げ出したくなる気持ちもわかった。でも、私は逃げ出された方の気持ちだって知っている。だから絶対これは受け止め切らなきゃならない、そうしないと私は私のことを生きてられないほど決定的に嫌ってしまうから。そして必死にあげている声が届かないメカニズムを改良したいから。そんなことを言い聞かせて外を見ていた。