渋谷系当事者として

id:crossageさんのここんとこの渋谷系総括事業が相当なものになっております。
私、そういえば、さんぴんCAMPの直前だったか直後だったかの大LB夏祭りにいってて、さんぴんCAMPに行った人と互いの感想を語りつつ、その後何かの音楽雑誌で久住昌之が両方をレポートしててさんぴんCAMPが「工業高校の文化祭」、大LB夏祭りが「中学校の保護者同伴文化祭」みたいにいってたようなことを覚えてます。

さんぴんCAMPの方は確かだと思うんだけど、大LB夏祭りの方はあやふや。
所謂J-文学に関して、その志の低さに、純粋文系大学生として憤りを覚えていたのですけども、そこらへんも解題してくれるらしいので期待しつつ総括事業を見守りたいなあとか。
GWにこの人は遊びもしないで延々とこんなことを考えておるのかとか。

オザケニストとして振り返ると、97年ていうのはオザケンがもう王子様じゃないってことをオリーブ少女に知らしめた年だなあと思います。

文学ってそんなチャラいもんじゃねえんだよ!という憤りがあって文学まみれだった私が漫画シフトしてったのもそのあたりな気もしてきました。
で、私の所属していたゼミは結局みんなそんなノリだったのか、卒論がほとんど漫画を語るものであったという思い出もあります。
(自分を含む周囲の人間の卒論や発表が、山本直樹やおいくらもちふさこ西原理恵子榎本ナリコ冬野さほやまだないとにまつわるものだったという文学系ゼミ。岡崎京子を扱うのはあまりにもド真ん中すぎてはずかしいよね、みたいなノリで)
漫画と文学の関係の倒錯っていう事象が今思うと一番過激だった時代かもしれません。
今の漫画はその前の過激派漫画が領域侵犯していた部分をうまく撤退していっていわゆる漫画の身の丈の枠にゆるやかに戻っているように見受けられます。
漫画は文学だ!などというどちらにも失礼な文脈で語られることは少なくなったなあ、と。
はみ出している人ははみ出している所で語られるようになったなあ、と。
HMVタワレコの書籍コーナーで売られる本や漫画に、文学だ!など言ってもナンセンスだということに気付くのにどれだけ時間がかかったんでしょうか。