ミスリードしておこらりた

阿部和重を読むっていう行為が(笑)な雰囲気だったんすよねえ、当時。あいつら踊らされてんぜ的な。
渋谷系文学ってなにー?みたいな。それよりよしもとよしとも読もうぜみたいな。小説より漫画の方が高尚だという風潮があったんすよねえ。それで文芸学科であるからには高尚な方選ぼうぜみたいな風潮が。
阿部和重って、渋谷系におけるフリッパーズ・ギターみたいな、そういう象徴であったので、それを語っているのを見た時点で90年代後半の文学事情が思い浮かんだんですよねえ。
あの頃の河出書房新社の仕掛けようとしてオオコケした事態を冷笑していた私達は、綿矢りさでうまいことやれてよかったなあ、と勝手に安堵したりな。
田舎出身渋谷系かぶれ文系大学生の目から見ても、明らかにあの仕掛けは遅過ぎた。2005年5月現在で例えると、今から韓流に乗ろうとしてそうな感じで遅かった。
なんだ話がそれたなあ。
阿部和重を語るってことにフリッパーズ・ギターを語るみたいな意味合いを私が勝手に見出しているのですけど読んでもいないのにそういう風に思うのはいけないなあと今思ったから近々なんか読もう。