なので各論

渋谷系もしくは90年代ってカテゴリ作った方がいいのかなあ?
http://d.hatena.ne.jp/crossage/20050505
ここのエントリからすっごいいっぱい人がこの過疎地にもやってきてだ。
こうなったらこの乗りかかった船にずっぽり乗船して、かなり遠いような近いような私の目からみて思ったことをつらつらと書き綴るよ。

渋谷系の乗っかっていた土壌っていうのは、自分が「あらかじめディアスポラされた子供」という自意識があるってことだったと思うのな。

あの頃渋谷系を自負していた人が必ず出会ったフレーズっていうのは「平坦な戦場」でしょう。
リバーズ・エッジに出て来た高校生達と同年代の人間が主なその世代であったからあれほど流布したんだろうけど。

何からディアスポラされていたのかは人によって異なるだろうし、渋谷系という観点からいうと、フリッパーズ・ギターが一瞬にして消滅してしまったそのショックっていうのはもちろんあるだろうし。
時代背景としての阪神大震災やオウムの地下鉄サリン事件っていうのもあるだろうし。

あらかじめディアスポラされていた子供達が大人になりつつあってインターネットというコミュニケーションツールを獲得して初めて繋がるようになれた、とかそういうことも考えたりするけど、95年にエヴァンゲリオンの放送が始まり、映画の完結が97年っていうのは関係あるのかねえ。
「喪失感」っていうのは何かのキーワードになりそうな気がするが、これは個人的なキーワードなのかもしれない。
95年っていうのは社会的に色々なものが喪失された年で。96年に私達は私達のオピニオンリーダーであるところの岡崎京子の突然のアクシデントに見舞われ。
20世紀最後のディケイドで大掃除をしていたのかなあ。させられた、という意識の方が強いですが。
あれじゃん?渋谷系全般の特徴がアダルトチルドレンなんじゃん?
アダルトチルドレンって単語使うの何年ぶりかよ。
あーでもこうなりたい大人っていう意味でのロールモデルは特になかったような気がするので、時代としてアダルトチルドレンというのはアリなのかもしれない。
だって、よく聴いてたミュージシャンとかって大人じゃなかったもの、認識として。

99年はフィッシュマンズ佐藤伸治が死んだ年で、小沢健二もNY行っちゃって、って明らかに渋谷系なんてものはなくなってってんなあ。

ただ、渋谷系世代のミュージシャン、というか同じ空気を吸って育ってきたなあと思う人達、実際同世代なんだけど、な人達(くるりナンバーガール中村一義Cocco)の曲って痛切な祈りの感覚があって。
「喪失感」と「祈り」が何かありそうだけど、これはかなり各論くさい。
私はソフィア・コッポラがとても好きなのだけど、ソフィア・コッポラの作風って主にこの二つで説明できるよ。

ソフィア・コッポラって名前負けしてないよね。コッポラの名前だけじゃなくてソフィアって「智」って意味でしょ、確か。負けてないよ。

私、「失われた10年」って言い回しが大層嫌いなのに、似たようなことゆうとるわ。
いやでも言い回しに品がないんだ、なんか、「失われた10年」って。
あと「失われた」当事者が使ったんじゃなくて、むしろその喪失感に加担してた側からの押しつけの言葉だから嫌なんだな。
「その前の世代がやってきた事のしわ寄せで喪失感が蔓延していた10年」ってことじゃねえの。
その前の世代って部分を恣意的に抜いちゃいけないんだよ。言い出した人間が乗っかっている土壌はあらかじめディアスポラされていない土壌。彼等は自分が土壌を壊したという事に気付いていない。

そして、私らより下の世代になると、また事情は違うようだ。
今現在進行形で大学生の女の子と話をしていた時に、リバーズ・エッジの登場人物は携帯なんか持ってない、と話をしたら、大層驚かれて、その後、彼女は大笑いをした。
「あんな、山田くんみたいな渋谷系の男の子達がイエデンを使ってたなんてー!!!!!!」と。
私はその驚きをみて驚いた。