追っかけはあれ以来

marginalism2006-08-25

大学時代、フリッパーズ・ギター小沢健二よりSpiral LifeAIR車谷浩司に夢中で追っかけていたことが結構な黒歴史で語りにくいのは、今の彼が、あの頃の面影を残していないからで、あれだけ一人で孤独に戦っていた人が戦うのを止めてしまったのが、とても悲しく、でも戦いはつらいからドロップアウトしてしまう気持ちもわかるし仕方のないことだと受け止めましたが、ドロップアウトした時点で私が好きな人では無くなってしまって、それでも盲信的に彼について行くファンと見切りをつけた私達の間に溝ができてしまったのも致し方ないことではあるのですが、彼を好きだったと表明することが、今、彼が所属している団体のあれこれに関わるセンシティヴな問題を含んでしまうからいちいち当時はどういう人だったのか説明するのも面倒なので、こういう失恋の仕方はもう嫌だなあと思う。ただ、ファンとアーティストの関係というのは結構脆いものなのだなと、学習させていただけたのはいい経験になりました。
 今の彼には何の興味もないのですけど、昔はとても真剣に世の中と戦っていた人だったなんて本人も忘れているのかもしれませんけど、私が好きだったのはそういう車谷さんで、最前列までいってモッシュして(ブラ一枚で)ダイヴして『番長』とかライヴ会場で会うだけの友達に呼ばせてたりしたのも若気の至りと言ってしまえばそれまでなんだけども、東京近辺でやるイベントはとにかく皆勤賞だったほど入れ込んでいたのは車谷さんの戦う姿に共感していたからで、そして私がプチブル大学生で金に困ってなくてチケットをガンガン買えたからで、二十歳前後でひどい鬱になった時に聴けた音楽は彼のものくらいで、なんか勝手に彼の音楽に救われたりしていたから、だから、そういう人が戦うのを止めたと気付いた時は悲しかったなあ。だいたいあの頃私が見たり聴いたり夢中になったり飽きたりしていた人達が27歳くらいでそれぞれの方向にバラけていくのを見ていて、27歳は大事なのかな、と思っていたけど、私はもうそんな年も過ぎてしまっているのですね。27歳前後は確かに転機ではあったなあ。そして私は車谷やその他何人かが取った手段には魅力を感じない人間であったので、そんな自分が少し誇らしかったです。ミッションスクールで教育を受けたために免疫がついていたのか、と。私の高校時代は無駄ではなかったのだなあと。本当に人生にはなんの無駄もないのだなあと。

今、この歳で、久々に追っかけせずにはいられないアーティストに出会って、しみじみあの時代のことを思い出し、あの頃と一緒の部分と違う部分がそれぞれあって、なんというか、自分の二十代は充実していたなあと。しんどかったけどそれだけの経験を積めてよかったとも思えます。あの頃のようにざっくばらんにその人が好きというだけで友達が作れるような雰囲気の場所でもないですけど、それはそれでよし。現場の雰囲気はむしろ十代の大部分を過ごした場所に似ているから、それはそれで懐かしい。私の十代と二十代は断絶したものではなかったのだなあ。きちんと繋がるものなのだなあ。なんつうか、私が十代を過ごした場所に雰囲気が似ている現場で私を魅了してくれる人が、私が二十代の前半遊んでいたような所でどう遊んでいるのか見てみたいなあと思います。始発待ちのデニーズや、早朝の松屋とかが、遊んでいた時間よりも懐かしいんだよね。彼も友達との遊び帰りに綺麗な朝焼けを見て興奮するようなことがあったりするのでしょうか。忙しい中でもそういう体験があるといいなと思います。私がコテコテの甲子園目指す高校球児みたいな生活を送っていた地方出身者で大学デビュー組だから、都会での遊び方がやたらきらめいて見えたから、そういった体験の思い出が美化されすぎているのかもしれないけど、そういうのは誰にとっても大事なものであると信じたい。