「おつかれさま」にはまだはやい

私がサッカーというスポーツを知ったのは『キャプテン翼』がきっかけです。
私がサッカーというスポーツには何か特別な魅力があるのか?と思ったのは弟がきっかけです。
私の弟は3月生まれの末っ子だからか、小さい頃は人見知りと引っ込み思案が激しくて私の後ろでいつもぼんやりしてる子だったのですけど、なぜかサッカーにだけは執着心をみせていたので、それが不思議でした。
そんな私がサッカーというスポーツにハマったのは高1の冬に高校サッカー選手権を見てて、地元のチームと1回戦で対戦してた相手方の高校にいた友近聡朗という選手がきっかけです。
なんか、すっごく楽しそうに猛スピードでピッチを駆け抜けてて、身体は小さいんだけど、その分余計にスピード感があって、それでボールを蹴ってるというより一緒に走ってるみたいで、最初は普通に地元の高校応援してたはずなんだけど、途中から敵だったはずのチームのFWから目が離せなくなって、そっから今までサッカーとはズブズブです(主に体力の問題であまり気を配れない時もあるけど)。
国見の三浦淳宏鹿実の前園・城、清商の川口に帝京の松波・阿部や韮崎の中田、とまあこうやって今ふりかえっても結構名前出てくるもんだなと驚いたんだけど、こういう人達がいた当時の高校サッカー界の中でも私にとって一番輝いて見えていたのは南宇和の友近という選手だったんです。

南宇和の友近はその後早稲田の友近になり、気付いたら愛媛FCのズーパーになっていたのですけど、彼が愛媛FCのズーパーになっていると気付いた時には私はすっかりコンサドーレ札幌サポーターでして、J2の舞台で敵味方になって戦ってたというわけです。
だって、地元にサッカーチームができて嬉しかったのだもの。北海道はプロスポーツ不毛の地と言われてたから頑張って支えなきゃと思ったんだもの。

J2最終節横浜FC-愛媛FCだったんだ。城と友近、両方の現役選手としての所属チームラストゲームだったんだ、と、さっきGETSPORTS城彰二特集やってんの見て知った。同世代の選手がそれぞれの選手生命にピリオドを打つ年齢になってるんだなあと、高校時代の彼等を追っかけ回してたから、私もそういう年なんだなあとしんみりしたんですけども、それから改めてズーパーブログ読んでて、私が地元のチームが愛おしいと思う気持ちはこの人がきっかけでサッカーを好きになったのだから至極当然のことなんだなあとぼたぼた涙と鼻水落としながら思った。
ブログから一部引用するよ。
http://blog.livedoor.jp/super11efc/archives/51302005.html

春になれば、転勤で愛媛から離れる人もいるでしょう。
また、愛媛に戻ってくる人もいるでしょう。
東京で愛媛FCを誇らしく思っている人もいるでしょう。
全国各地に愛媛FCのサポーターがいるでしょう。
携帯サイトで勝利を知って、「小さくガッツポーズ」をしているのかもしれません。
愛媛FCはずっと続くのです…
J1に昇格する日も来るでしょう。J2に降格する日もあるでしょう。
でも、愛媛の人の喜怒哀楽と共に、愛媛FCは存在するのです。
愛媛FCの存在が、あなたの生活のささやかな「生きがい」になれば、
これほど嬉しい事はありません。

いつの日か、愛媛FC歓喜の渦のど真ん中にいる貴方の姿を拝見できることを楽しみにしております。
そして、ミスター愛媛FCと呼べる格好の人材がいるこのチームがちょっぴりうらやましいです。
私は友近聡朗という人がきっかけでサッカーを好きになれて本当によかったと思った。