ニアリーイコール

私にしては猛スピードで『野生のしらべ』読了。原題Variations sauvagesを『野生のしらべ』と訳すのはとてもひどいというわけではないが、Lost In Translationを感じました。sauvageを手元の仏和辞典でひくと「野生の」という意味以外に「非社交的な・人見知りする」という意味もあって『翻訳過程で失われたもの』がもったいないなあと思った。Variationをうけて『しらべ』としたのはちょっと違和感。『野生のヴァリアシオン(もしくはヴァリエーション)』で充分だったと思う。

日本での文学、ヨーロッパでの音楽の地位をアメリカでしめるものはなんだろう?写真?いや、映画かな、と考えていたのですけど、この本を読み進めていたら『もっともアメリカ的な表現方法である映画』という記述があったのでそういうことにしていいのかなと思った。

私はエレーヌ・グリモーというピアニストの音を聴いてこの本に導かれたのが幸運だと思った。

その他、個人的に引用メモ。
P62

 過ち?私たちはだれもがみな、過ちを犯してきた。過ちを犯したという意識?私たちはだれもがみな、あの魂を萎縮させる強い屈辱感を感じてきた。

P110

 そのあと、どのようにしてかもなぜかもよくわからないけれど、私は他人の微笑のなかでよろめき、ものごとと絶えず争い、人生と激突し、自分が重く、不器用で、自分自身をもてあましていると感じ始めた。「人生でいちばん美しい年ごろ」。当時も、それに続く数年間にも、このたぐいの言葉をしばしば耳にした。なんというナンセンス! 突然、もはやなにものも明確でないように思える。自分がなにを望むのか、自分がなにに適しているのか、もはやわからない。自分の道を進むことがただ骨の折れる試練となる。人が言ういちばん美しい年ごろとは、実のところ、ほんものの煉獄*1だ。

P135,136

 男たちは私に向かって、あのぞっとするような微笑を投げかけるようになった。「ぞっとする」というのは、そこにはなんの優しさも甘さもないからだ--それは汚れたキャンディのようにべたべたと貼りつく微笑だ。つまり淫獣の視線にはさまざまな形があるということだ。(中略)世界中のすべての娘たちにとってと同様に、私にとっても、自分が対象となっていることの輪舞と、こちらに向けられたぎらぎらの目つきとには、なにか身を凍らせるようなものがあった。なぜならば、そこからは幼稚で野蛮なエッセンス、原子の純粋の暴力、巨大で獰猛な黒い力の影が浮かびあがってくるからだ。(中略)
 いまはなお悪い。男たちは私を、自分が思っているとおりの姿に見る。私を通して、自分自身の、自分の欲望の、自分の抑制のゆがめられたイメージのなかに自分の姿を投影する。こういった一対一の対面、職業柄避けられない偶然の出会いのなかで、男たちの幻想の容れ物となることが、私にはますます耐えがたくなっている。それは私ではない。私はその幻想から逃げ出す。それを抱いていると見抜いた相手に対しては、深い軽蔑を感じずにはいられない。

P160

 おまえは私の明白なる意思だった。おまえは私に、私たちの外からくるものではなく、私たちの内側から生まれるものこそが真実の生であることを理解させた。私は存在したかった。愛すること、それは存在することだ。そして、自分の生を受け取る以上に、それを創造することだ。

P163

 私はドストエフスキーのなかに浸りこみ、しまいにはひとつひとつの言葉が、私の魂のなかで音符となり、それから協奏曲、それから交響曲となり、ついに初めて耳にしたとき、私はそれがラフマニノフスクリャービンストラヴィンスキーの名を、あるいはリムスキー=コルサコフプロコフィエフショスタコーヴィチの名をもつことを知った。読者の皆さんにも、本を読んでいて、ひとつの文章をまるで個人的なメッセージのように受け取られた経験があるにちがいない。

P188

 芸術家はすべてを演奏し、弾かなければならないと言われることがよくある。なんと奇妙な考え方だろう! 私たちは機械なのか? ひとりの芸術家、ほんとうの芸術家が、人生の同じ時期に、モーツァルトドビュッシー、バッハとショパンのどちらにも、同じだけ話すことをもつなんて、そんなこと想像できるだろうか?

P194

 自分が音楽と運命でつながれていると知っているのは、ほんとうに私ひとりだけだった。

P201,202

 レッスンの最後、フライシャーは私に言った。
「なにをするにしても、あなたにはそれを自分自身で立派にやるだけの潜在能力があります。ただ、あまり急いで始めすぎないように。できるだけ弾かないことです。自分自身のシステムを見つけるまでは離れていなさい」
 フライシャーは私と握手し、つけ加えた。
 「ひとりで続けていきたいそうですね。充分に賛成できる計画です。あなたはそれを達成するのに必要なものすべてをもっています。しっかりおやりなさい」

P216

 私のまわりでは、同世代の女の子たちが、花嫁のベールやレース、揺りかご、子どものことを話題にしていたが、その計画のどれも、私にはなんの関わりもなかった。ほんとうを言えば、私はそういった計画を突飛で、ちょっとおぞましいものとさえ思っていた。

 音楽は私と似たもの、私の一部、あまりにも私自身でありすぎるから、私は音楽に助けを求めなかった。

P221,222,223

 私の容姿そのものが私の足を引っ張った。(中略)あのとき、自分がイメージのずれに苦しんでいたのかどうかを言うことはできない。もちろん、それは私を不安にした。一方、人が私に向ける視線は私をいらだたせた。(中略)演奏家と音楽、演奏家と自分のあいだにおいた聖なるついたてを乗り越えられない人びとがいる--その場合、演奏家は自分がイコンとなっているのに気づくわけだが、それにはどこか背筋を寒くするようなところがある。演奏家に話しかけ、演奏家と顔を合わせ、演奏家に触れるのを待つ人びとがいる。この人たちはファンと呼ばれる。ファンは演奏家に多くをあたえはするが、また自分の愛に見合う返答を要求もする。

P227

 私はひとつの解釈に完全にのめり込み、その一瞬後には、必要な絆を結ばないままに、自分が始めたすべてを壊してしまいがちな自分の性格を矯正した。同時にどんな代償を払ってでも、完璧を求めるべきではないことも学んだ。完璧は存在しない。完璧を求めることは、自分の目印、まさに生死をも分ける重要な視点を失う最良の方法だ。私は完璧についてじっくりと考え、理解した。完璧とは、X氏やYさん、あるいは聴衆に気に入ると思われるものに合わせようとして自分を偽ることなく、自分のもっているものすべてを、私なりのやり方であたえることだ。

P228

 マルタが私に伝えたもの? それはあれやこれやのピアノ奏法ではない。むしろマルタがマルタ自身となったように、私もあるがままの私にならなければならないという確信だ。マルタは私に、避けがたいものに立ち向かわなければならないことを教えた。この避けがたいものだけが、結局のところ、私たちを救う力をもつのだ。

P231

 最初の批評家は芸術家自身だ。芸術家は幻の完璧を目指したりはしない。完璧は無意味な言葉となるだろう。だれも作曲家に代わって、あるいは作曲家の意図に代わって答えることはできない。真の芸術家すべてが目指すのは、演奏する曲の生命を自分の命によって燃え立たせること、愛の特徴であるこの完璧な自己放棄のなかで自分の存在すべてをあたえることだ。

P239

 教えてくれたのは音楽の本質に関するいくつかのことであり、音楽の本質とはまた私の本質でもあった。私はなにものにも抑制されない自由な存在だった。私は巣や群れ向きには生まれついていなかった。私はなによりもまず、自分の本能と欲望にしたがって前進し、いつか流砂のなかに埋没してしまうのを恐れることなく、自分の道を追い続けたかった。この二年間は、孤独が、私が自分自身になり、自分とともにいられる原初の場所であり続けていること、孤独のなかにいるとき、現実が願望という姿で形をなすこと、ほんとうに現実となる可能性があるのは自分が自分のために望むことだけだということを教えた。

P309

 私にはわからないけれど、あらゆる特権には値段をつけることができるのだろう。音楽は私に、自分にはあまりにも苦しかった日常の平凡な繰り返しから、わきに足を踏み出すチャンスをくれた。
 なんと言えばいいだろう? 人生のある瞬間、自分が人と違うことがあまりにも許しがたかったから、私はもはや自分が自分でなくなることを望んだ。私はこの状態もまた乗り越えた。人びとに嘘をつくよりは、人びとを落胆させる危険を冒すほうを選んだ。人生の目的は自分を守ることではない。危険は人間の条件の一部をなす。結局のところ、私はバランスが存在することを願う。ある人びとが落胆するのを避けられないのなら、せめてその他の人びとは幸せになりますように。このような状況は私をいつも悲しくする。けれども、もはや私を怒らせることはない。

P312

 芸術がこの元素なのであり、芸術がなければ、私たちは一生のあいだ、不幸な孤児のまま、さまよい続けなければならない。

*1:うちのPCでなぜかこの漢字でなかった