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marginalism2007-05-10

思う所あって最近英語の童話を寝る前に聴いています。自発的に言語を習得する時に私が最初にやったことは絵本を読むことだった気がするので原点に戻ってみましたら、ある言語を母語に直さずにイメージで捉えること(言語習得でよく言われる上達のコツ)がどういうことかとやっとわかり、あれっすね、自分で小さい頃に読んだ絵本の絵が頭の中に出てくるのね。本当に沢山の人が異口同音に伝えていたことの理屈はわかるが実践の仕方がわからんという状況がこの年になってやっと解決。20年以上かかった。20年以上というと小学生の時点で頭が固かったのだなあ。Once upon a time,という導入でわくわくするのだから、気持ちが3歳以前のレベルの言語能力の状態に戻っているんだろう。理屈でアプローチしてもダメだわ、小学生で英語習いたがって通った時には既に理屈でアプローチしてたから身に付かなかったんだわ。童話卒業したらシェイクスピアストーリーシリーズでもどっかにポッドキャストないか探すわ。
思う所といっても元はといえば「あいらぶまらげーにゃ」が悔しかったつう思う所なので、フィギュアスケートの海外動画の英語部分をmp3にして聞いてればあれじゃん?好きこそものの上手なれ、ってやつじゃん?と思ったが、そこに至るまでのスキルが好きなものではなかったので挫折、ネットに転がっているであろう数多ある英語学習ポッドキャスティングページ見てて、あ、これだ、と拾ったのがここ(http://www.eigotown.com/podcast/)のクラシックストーリーシリーズだったと。
色々見て聞いて回ったけどギラギラと英語習得しようとしてるものダメだわ、私。私は何やったって原点に戻るとやっぱり絵本や物語に行き着くのだということを今回身にしみて学習した。
それで、ずっと拘泥していた「少女」というテーマから卒業した私が次に取り組むテーマがなんだろうなあと探していて原点の読書体験に戻ると、それは『恋愛物語』押しつけに対する反撥の歴史、簡単に言うとなぜ女流作家はおしなべて恋愛をテーマに据えるのか、いや、というより恋愛をテーマにしたものしか書かせていただけないのか、そこからはみ出たものを書くには外見的な資格がいるようで、著書に気合の入った著者近影がのっているような人気女性作家は恋愛しか書いちゃいけないように感じていて、私はその状況が苦しかった。そのことかなあと思いました。
一定の外見(といってもこの業界でのそのハードルはかなり低い、人間の女と識別できる記号を持っている小説家はだいたい『美人作家』になっていたから)を保っている女性作家はそれしか書いちゃいけないという状況に憤りを感じていないのかと疑問に思っていたので目についたものから乱読していたのだけど、彼女達はその状況に憤りを感じているどころか当然だと思っていて、女にとって恋愛以上に考えるべきものなんかないわ、という態度で、それが更に私を苛つかせて小説を読めば読むほど孤独になるangry young womanだったのですけども、お前と黒人の話はもういい、とへとへとになった時に手にした小説が、やっと「恋愛」を中心に据えていないストイックな構成で読み応えのあるもので、ちゃんと著者近影に女性の写真があって、それが不思議なことにそれまで読んだどの小説よりも真摯に「恋愛」を扱っているように思えて、セーラー服を着ることには抵抗がないけども恋愛レースに本人の与り知らぬ所でエントリーされシードされ押し付けられることには心底疲れていた私の心情がangry young womanからangry young womenになってほっとした時のことを思い出し、だってその世界の中には私と同年代で同じ憤りを感じている女性達の姿があったのだから、やっと一人じゃなくなったのだから、一人の闘いと複数人の闘いは全く違うものになるから、「恋愛至上主義」という大変強度のあるイデオロギーに異議申し立てをしてもいいという勇気をもらった時のことを思い出して、今私が取り組む問題はこれなのかなと思った。
ニュースを見ていると腹立たしいことばかりだが、それに対して私はなす術がほとんどない。だけど、私が私の取り組むべき問題に真摯に取り組んでいれば、きっと、私が腹立たしいと思っているニュースに対して私より適切に対処できる人が真摯に取り組んで今よりは良い状況に動かしてくれるような気がするから、私は私の問題に集中しようと思います。私にできることは限られている、が、私だけじゃなくそれぞれの人が限られている自分にできることを探して見つめてそれを真摯にやっていけば、きっと世の中はしっかり回るんだと思う。