14年前の晩秋によせて

読売文学賞の人(1) 小説賞「犬身(けんしん)」 松浦理英子さん(http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080204bk03.htm)より

「(前略)私は魂を揺さぶり、魂を侵食する濃密な人間関係が書きたい。デビューのころから、この気持ちは変わりません」

「事象の核心にあるものだけを扱う、純度の高い小説を」との思いから、物語性や具体的な社会現象を排除するよう自身に課してきたが、受賞作では、初めてその「禁則」を解いた。
 変化のきっかけになったのが、連載開始直後の04年6月に長崎県佐世保市で起きた小学6年の女児による同級生殺害事件。「ものすごく衝撃を受けて、締め切り前だったのにインターネットにかじりついて事件を追いかけました」
 加害者の女の子の性格、深い孤独感を知って「私に似ている」と感じ、追いつめられた子どもの魂にも届くような、存在感のある、豊かな小説を書きたいと考えるようになった。

「全能感を持った人よりも、孤独な人によりそって小説を書いていきたい。(後略)」

あの事件に反応して、あえてああいう作品にしたのかと。あの事件に松浦理英子が反応していたのがとても嬉しかった。そういう事件に反応する人に、14年前の晩秋、うん、晩秋だった。窓の外に見えていた落葉樹は全てそぎ落とされてむき出しでとがっていたし、校舎の3階まで聞こえてくる幼稚園児たちの杜までの散歩のはしゃいだ声は「さむいーさむいー」とやけに響き渡っていたし、教室の中は暖房で温かかったし、でも、曇り空でもまだ雪の気配はなかったから。その時に私にも魂があることを教えてもらった。よりそって支えてくれた。
松浦理英子はとりあげるテーマによってセンセーショナルな作家だと思われがちだけど、この人はとにかく優しい作家で、この人の深い優しさがひきこもっていた私の魂まで届いた時、あの時のことを、私は長崎の女児の事件の時に思い出したんだ。だから、間違ってなかった、と改めて思えて嬉しかった。
松浦理英子の優しさと坂口安吾の優しさは同質のもので、必要のない人間が大多数だと思うし、それが劇薬として作用してしまう人もいっぱいいるのだろう。でも、その劇薬がなければ、私は、今、こういう形でここにいないと思う。劇薬が必要な人間のために魂をこめて必死にメッセージをなげかけてくれた人がいて、それを受け取れたことがたまらなく嬉しい。
そして、この人達のあとに続きたい、とやっぱり思うのです。
あの加害者の女の子の心に、松浦理英子さんのメッセージが届けばいいな、と思うし(『犬身』のラストにこめられた想いはそれだったのか、と思ったら、あの小説は私の宝物になった)私も、彼女に届くようなメッセージを送りたい。

犬身

犬身

私はオブリガートでいたい、いつでも。主役が変われど常にそこに寄り添う副旋律でいたい、いつでも。究極的な主役は受け取り手だと思っているのだ、いつでも。