トータルフットボール・サーガ

あれから10日経ってもワールドカップの決勝戦の衝撃から立ち直れないどころか落ち込む一方で、鬱の扉が開きかけて歯軋りで奥歯が剥がれた。南アフリカの地での決勝戦のカードが決まった時、どっちが勝ってもアンチ・フットボールに楯突いた俺たち奇跡の大勝利!モウリーニョ・シンドローム撲滅!クライフ哲学に結果が追いついた!と無邪気に喜んでいた自分に戻りたい。実際にはクライフ哲学は負けなかっただけだ。なんとか面目を保つ程度には負けなかった、だが、それ以上に裏切られた。だからより一層苦々しいことになる。私はただ余韻に浸っていたかったのに、その代わり鬱との戦いに挑む羽目になっている。

今でも決勝のダメージから立ち直れないのはオランダが負けたからではなく、オランダが自分達の伝統を捨て、見せるべきものを見せず、やれるはずのことをあえてやらずに逆にそれを裏切り傷つけるようなことをしたからだ。縁もゆかりもない国のサッカーを愛したのは、美しく楽しくスペクタクルで、うっかり愛嬌もあってドキドキさせてくれたからなんだ。それが決勝の戦いの場では消え失せたことがショックだった。オランダは勝っても負けてもヒールになんかならない国だったのだ。過去形で語るしかない現実に、私は、ただ、歯を食いしばっている毎日だ。

このクライフ・ダービーは正妻の息子による父殺しvs愛妾の息子による父の護衛だった。オランダ人はオランダ人である限りクライフから逃れられないが、バルセロナからの代表選手はいつだってクライフから距離をとることができる。だからこそ、そのスタイルを頑なに守ろうとする。バルセロナの選手が(そしてクライフファンの私達が)唾棄するアンチ・フットボールとはアンチ・クライフ以外の何物でもない。クライフの息子達の戦いでアンチ・フットボールが出現するとはきっとほとんどの人が予想だにしていなかったはずだ。
だが、もしかしたら「偉大な父」ヨハン・クライフは気付いていたのかもしれない。このクライフ・ダービーに、このカードの原点であり最重要人物である彼が、誰よりもその場に立ち会うことを望まれた彼が、ついぞ会場に姿を現さなかったのは、息子に自分のサッカーを殺される、いや、自分のサッカーを殺しにかかって醜く恥を晒す息子の姿を予見して、立ち会うことを拒否したのかもしれない*1。それとも単純にどっちにしたってクライフのサッカーが勝つよ、とはしゃいでいた私達と違って、どっちにしたってクライフのサッカーが負ける、という考えで、自分のサッカーが負けるところを見たくなかっただけかも知れなかったけど。
途中、テレビカメラに抜かれたベッケンバウアーの横にいるはずだった人間の「不在」が一番大きな「存在」としてのしかかった。オランダ・スペイン両王室の軽さ、たった一人のサッカー選手の重さ。この場で一番偉いのは誰か。そいつはどこにいるのか。それを残酷に鮮やかにテレビカメラはえぐり出す。テレビの映像が何より雄弁な報道として機能した瞬間だった。

父と息子の間の父殺しという問題は私にはどうしても皮膚感覚ではわからないのだが、クライフという偉大な父を持ってしまうとああいう形で一旦壊さないと前に進めなかったのだろうか。あのやり口は殺人だった。誰を殺したかって父である以上に自分であった。重くのしかかる偉大な父を汚そうと決意した嫡子の自爆テロに耐えぬいた庶子が負けなかったということになってしまったので後味悪い。庶子が父に教わったサッカーをやり抜いたかというとそういうわけでもなかったから。

庶子が何故父に教わったサッカーをやり抜けなかったか。それはもう一人の主役の「不在」が大きい。ワールドカップ勝戦のクライフ・ダービーで「不在」だったもう一人の主役はメッシだ。育ての親より産みの親を選んだ孝行息子の不在。その孝行息子が戻った生家には居場所がなかった。誰も遊んでくれなかった。生家で身に付くサッカーと孝行息子の身に付いたサッカーのリズムやスタイルは全く違った。そこの家の父は息子達をネグレクトして、何の手だても施してくれなかった。それでもこの孝行息子は最善を尽くしそのギャップを埋めようと奮闘した。でも最後まで誰も協力してくれなかった。そして彼が選ばなかった家の息子達では孝行息子の不在を埋めきれなかった。彼がいないために父のサッカーをやり抜くことができなかったのだ。いつもならそこにいたはずの彼がいなくて、私達は気付く。これはワールドカップだった、メッシはスペイン人じゃなかったと。そしてそのことを心底残念がる、ここにメッシがいたら、と。

だけど、メッシがいるスペイン代表を見たかったと本当は簡単に言ってはならないだろう。代表としての国籍選択帰属意識は彼個人の問題でそれに口出しできる人間なんていないのだ。例え彼のサッカーがどうみてもバルセロナのサッカーでしかなくて、アルゼンチンらしさがなかったとしても、彼はアルゼンチン人として強烈なアイデンティティを持っているのだろう。そこは彼の決定を尊重するしかないんだ。

私達が見たかったサッカーってなんだろう。そこにメッシがいたらワールドカップではなくなってしまうのにそれを望むのは欲深いのか。最高の戦いってなんだろう。代表チームが最高なのか、クラブチームが最高なのか、向き合わないようにしてきたサッカー界の矛盾からもう逃げられないのか。

私が見たかったクライフ・ダービーってオレンジのユニフォームを着たオランダ代表と赤と青のユニフォームを着たバルセロナ代表が戦って、それが一番強くて楽しくて美しいんだって最高の場で証明してほしかっただけで、クライフ以外のサッカーに勝ち抜いてその場・その試合が美しく伝説になってほしくて、10回中10回その結果が変わるだろうなという戦いが見たくて、あとまあほんとはロッベンとメッシのドリブル対決とか見たくて、そんなくらいのもので、クライフファンとしてはそれほど強欲でもなかったと思うんだ。でも私が願った夢は、スペインなんてほとんどバルサじゃん、とかすり替えで済む程度の問題で収まる余地なくボロボロに引き裂かれて、オランダは珍しくお家芸の内紛を起こさないと思ってたら最後の最後にクライフに対して世界中の公衆の面前で結局内紛起こしてるし、結局スペインはバルサじゃなかったし、自分が大好きで応援していたオランダの醜い変貌とアルゼンチンの中でひたすらクライフの教えを守って最後まで試合を捨てずにけなげに自分のサッカーを諦めず勝ちを諦めず仲間を諦めずパス出ししていて美しく敗れ去ったメッシのことを比べてしまって、私は「勝てばいいんだろ?マリーシア上等!」というアルゼンチンの薄汚いサッカーを憎むくらい嫌いだったのに、そのアルゼンチンの中にいたメッシは美しくて、悪いサッカーでも勝ちたいと言ったオランダのその発言を聞いた時は「え?ここにきて堅守速攻?そんなのお前らどうせできないじゃん」と暢気に構えていただけだったので、目についたものはなんでもかんでも蹴り倒すという「悪いサッカー」だったとは想像しなかった。「悪いサッカー」じゃなくて単に「悪い」バカがそこにいた。もはやアンチ・フットボールですらなかった。最終的にはあれをフットボールと呼ぶことを自分に許すことはできなかった。今大会のオランダはオランダじゃないといいつつ決勝戦ではオランダになってくれるのかと一縷の望みをかけていたのにその気持ちは軽くいなされ蹴倒され全く醜悪としか言いようがないものがそこに出現していた。途中から、こんなチームに勝たせてはならない、なんとか息の根を止めてくれと思うくらい怒り悲しむ醜さであったのに、たまにロッベンが凄まじく美しいドリブルなんか決めてしまうから困る。大好きなオランダの形というのがところどころに残っていたから逆に余計困る。ドリブラーフェチである私にとってのドリブラーの理想型はオランダのスーパースターの系譜で、それは今はやっぱりメッシではなく、もちろんC・ロナウドでもなく、現役ではロッベンなので、そのロッベンとチームがアルゼンチンでもここまでやらないという薄汚さにまみれたことが耐えられなかった。

クライフのサッカーは勝てなかった。でも、負けなかった。父を殺せなかったオランダは反抗期を抜けるのか。それとも道を踏み外し続けるのか。他の理想を見つけるのか。J・Cがこの放蕩息子とどう向き合うのか(あるいは投げ出すのか)、愛妾の息子達との相思相愛は続くのか、「勝ちこそ正義」「どんなサッカーでも勝ちは勝ち」というモウリーニョ勢力とどう与していくのか、など、サッカー大河ロマンとして俯瞰で見る分には面白いですよね。できるなら私も俯瞰の場所に行きたい。でも、それは愛を捨てることになるからやっぱりオランダと(あとフランスと)戦い抜くわ。

とにかく何よりも私が愛するスポーツや選手や他の全てのものは「美しく敗れることを恥と思うな」というクライフの言葉を忘れないでほしい。私が何故あなたたちを愛するかというとあなたたちが常に美しい姿勢を崩さないからなのです。理想を追い求める姿は美しい。だから私はあなたたちを愛するし、私も美しくありたいと思うんだ。そのことだけは忘れてはならないのです。

*1:彼は大会期間中、一貫して現在のオランダのサッカーを批判していた