青春期に遅れた私
大江健三郎「個人的な体験」読了。素晴らしく優しく青春の蝋燭の火が消える間際の煌めきを描いた小説でした。著者本人もあとがきで述べていたけどまごうことなく『青春の小説』だった。鳥が現実に生きることを決断し、鳥の夢を火見子が受け継ぎ、それぞれが旅立つという結末が優しいものであったので読了直後の私は今幸せな気分であります。私は小説を前にした時は生々しく「女」であるから、「女」が兼ね備えていると思われるものを全開にしているから、だから火見子にも希望が与えられていて嬉しかったです。
この人の小説には絶妙に配置されるキャラクターがいて(例えばこの物語だったらデルチェフさんだったり「飼育」だったら書記だったり)、彼等を使うことによって小説の世界が平面的にならず、しっかり奥行きを与える巧さがさすがだなあと思います。
とにかく火見子にも優しい小説だったのが良かった。「死者の奢り・飼育」ではこういう優しさは見当たらなかったからてっきり彼女も放り出されるのかと思っていたけど、そんなことはなくて彼女が救済される可能性も示されていたので、放り出されることを覚悟して読み進めていた私には存外の嬉しい驚きでした。
アスタリスクの後の部分について批判がずいぶんあったのだろうけども、私はあの部分があるからこその小説だと思いました。それまでの読者が求めていた大江健三郎ではなかったのだろうから批判があったのだろうけども(アメリカの出版社主があの部分を省略したいと言ったのはまた別の理由だと思うけどそういった文化の違いに言及するのは今回は割愛)、あれがなければこの小説家は前に進めなかったのだろうし、彼や彼等の「個人的な」ものを抜きにしても、私はああいう終わり方をする小説が好きだ。彼の文体のエロキューションに身をたゆたわせることは嫌いではなかったけど全てを預ける気にはならなかった私が、こういうラストになるのだったら身を全て委ねていいやと思えた。
- 作者: 大江健三郎
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この幸福な読書体験の最後に潜んでいた、本編とはあまり関係のないちょっとした私の淋しい感傷的なお話も。
新潮文庫の(多分この本を読む人はこういう作家もオススメみたいなそういう意味合いの)宣伝に並ぶ名前のなんと瑞々しく魅力的なことか!大江健三郎・開高健・安部公房・安岡章太郎・遠藤周作・吉行淳之介・有吉佐和子!それに比べて最新刊ラインナップに並ぶ名前のなんと色あせて味気ない面子であることか。
私は確実に日本の小説の青春期に遅れてしまっている、友達になりたい名前が現在の部分には全く見当たらなくて悲しくなった。どの分野でも私は友達が一人いればそれで充分なのに、現代の同世代の小説家に友達になりたいと思う名前が一人もいなくてとても悲しい。ただの読者であるなら過去の名前に友達がいることで充分幸せであろうけど、それ以上を担う決意のある人間にとって同じ分野に友達になりたい存在が見当たらないのは不幸とは言えないまでも少し淋しくはある。私は常に同級生に友達を渇望してきたから、一人でいい、一緒に話したり考えたり笑ったりできる友達をこの分野で欲しい、と、全く学生時代にそうやっていたように、泣きそうになりながら心の奥で叫んでいた。きっと見つかることを願いながら。