ロメジュリ改正案続き

高橋大輔さんに捧げる、というかチームニコライに暑苦しく一方的に捧げている改正案、一つのエントリだと長過ぎだから分けます。
前半はコレ→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20071009/1191924043

あのヴァージョン見ていると一体もとの曲がどうだったか、何を見ているのかわからなくなってきたので口直しにチャイコロメジュリの名作を見ました。
ゴルデーワ&グリンコフ

エキシビだけどクリモワ&ポノマレンコ

チャイコでもここまでできるんだよなあって。
でも、ここまで考えて気付いたのは、私はジュリエット視点が強過ぎてロメオをないがしろにしていたこと、女性がいるとやはりジュリエット(女性側)を引き立てることになるので男子が一人で滑る時はどうだったっけ?とクーリックの探した。

戸崎アナに佐藤有香さんにタラソワさんまでくっついてて、更にゴルデーワは結婚相手二人ともチャイコでロメオやってるのかと気付き、そういう周辺情報に気を取られた感は否めない。

今回の日米対抗のFS、音があるとそれに気を取られて何もわからなくなるので音を消して改めて見てみました。
気になったのが、ステップの印象がサーキュラーもストレートラインも同じように見えること。ここ2シーズンのCiStとSlStは同じプログラムの中でも全く違う表情をもっていて、それが彼の場合の一番の持ち味だと思っていたので、両方とも激しく戦ってます、みたいな印象しかないのが、もったいないです。CiStがあまやかな恋愛、SlStが絶望、とか、片方出会い片方別れ、とか、両方暗いイメージでも激闘と苦悩、とかにならないものか。そういう踏み分けができる人だからこそステップを見ていて歯がゆかった。SlStがラフ2のSlStみたいだったらかなり印象変わったのになあ。そして、最後はSlSt~CoSpみたいな構成飽きた。むしろ4T~4T+3T~LSp~CiSt~3A~SlSt~(ここらへんで後半)Jump*×5~FsSp(そのままロメオ死亡)(スピン要素何個か省略したのは時間がどうなるかわからないから)みたいなのが見たいけど、これはさすがに鬼過ぎるか。鬼にも程があるか。今でも充分鬼なのに、ロメオじゃなくてこれだったら滑ってる本人が死亡するなあ。
曲はもう多くを望まないが、G&Gみたいなラストにして欲しい、つうのと弦楽器パート部分多めで強調で、ってそれだけは通して欲しい希望です。あ、あと、無駄にフレーズのリピートするな!というのはすごく言いたい。去年のチャイコフスキーはヴァイオリン協奏曲だったから特にひどくは文句つけなかったんだなあ。そういえばチャイコフスキーってフルオケだと管楽器がやたら鳴る曲ばかりかいてたんでした。

ロミオとジュリエット白水社の新書サイズのでガン読みしなきゃいけない機会が高校生の時にありました。

その時からずっと私はロミオのバカっぷりに腹が立って腹が立って、今はそのバカっぷりを「中二病」という便利な一言で表せますが、このストーリーの骨格にはバカ男子が先走ってしっちゃかめっちゃかになって周囲に迷惑かけ自爆、みたいな印象しかなかったのでした。中二病男子に振り回される可哀想な女の子の話として読んでいたみたい。ジュリエットにも思春期の女子らしいワガママさと無知と世間知らずな部分はあるのだけども、少なくともロメオよりは賢かったよ。あの子には乳母というブレーンもついていたし。そんで、ロミオの身勝手さに読んでいて腹が立って腹が立って怒りのあまり人が沢山いるところで読んでいるのに涙がポロポロ出てきたのだけど、周囲はその姿を見ても、私が本を読んで涙を流しているのはよくあることだったので特に気にしていなかったようでした。
ロミオみたいなやつ現代でもよくいるじゃん、それなりにいい家でそれなりに見た目もよくてそれなりに勉強もできるから偏差値高い私立の男子校通ってて、頭でっかちで、それなりにモテて、だけどそういうとこに無頓着で。で、文化祭なんかで同級生の男子達と連れ立って女子校にもぐりこんで好きな女の子できちゃってつっぱしるような青春まっさかりの人。
私はそういう人を見ていて大変に苦々しい思いを抱いていたものでしたが、女子校の文化祭にまぎれたロミオ風バカ男子を見てキャーキャー言う女子にもうんざりしていたので、早くここから出たいと思っていた、それでバルコニーのシーンのジュリエットなんかにはけっこう感情移入できていたのかもしれません。文化祭とか体育祭の時は騒がしいのが本当はあまり好きじゃないので、隙を見つけては一人で窓際に逃げて外を見ていたことしか覚えていなくて、でも、そういえばジュリエットもそういうところがある少女と描写されていたなあ。私は自分が惨めな存在であると思い込んでいたのであまり華やかなところに行きたくなかったんだよなあ。

こうやって男子校女子校の枠で見ると「ロミオとジュリエット」のテーマは現代でも充分通用することを今発見しました。私はかつてジュリエットだったんだわ。臆面も無く言うけど、ジュリエットだったんだわ。世界がロミオ側で動いていることに不満を持つジュリエット。だから恋に落ちることもなくロミオにあれだけ腹を立てていたんだわ。だからロミオ側の原理に陥ることなく隠遁した生活を送っているローレンス神父の存在があの物語の中で一番好きだったんだわ。
ロミオはロミオ側でその原理にからめとられることを拒否するために七転八倒していたんだろうなあ。
ロミオもジュリエットも自分を取り巻く環境から逃げたい一心で相手を求めたんだろうなあ、お互い自身を見ていたのではなく、逃避の手段にしていたのだと。世界に馴染めないのが一人ではなく二人になったのが心強くて舞い上がったんだろうなあ。16歳と14歳だもの、賢い子だと世界の仕組みに気付いて絶望する歳だよなあ。

すんません、すっかり自分の思い出話になったのと、頭が痛くなってきたのでもう切り上げます。この頭の痛みが物理的なものじゃなくて心理的なものっぽいのでちょっとやばい。ただ、今シーズンが終わる頃にはこういうことで頭が痛まなくなるように今年もまた大ちゃんと一緒に成長していきたいです!よろしくお願いします!