羊と私

年末年始バタバタしており、2015年がどんな年だったのかまとめる余裕もなかったので、せめて旧暦の年が明ける前にまとめようと思ってズルズルここまで来たけどそろそろ2015年の手帳のリフィルから2016年のものへと入れ替えなければならなくなってきたので今からやります!まとめておくと後で自分が便利!

1月:(町田樹と誕生日と血液型が一緒で彼の名前の由来となった企業に勤めてる)弟一家のところへ新年最初の仕事を終えてから行く。「姉ちゃん腕組んで怒ったりしてるコーチの人っぽい」「ああ!似合うー!」などと土方歳三のような扱いをされる。中学生の時にミスター土方コンテストの前座でパレードに動員されてた吹奏楽部員だったからだろうか。私がたまたまヨガ教室でもらった無印のファミリーセールのチケット持っていたので初売りに連れてかれたら途中の道路が箱根駅伝のルートだったみたいで駅伝応援準備の人と遭遇して、車の中から応援されてる気分になる。駐車場に止めてちょっと駅伝どんなもんか見てくかどうか話してみたけど、その場所から一番近いスポットが某新興宗教大学の応援団御一行様で「そこに紛れてテレビに映って会社バレしたら、駅伝はともかく信者と勘違いされると色々めんどくさい」と言う弟の意見で一同納得。意識高い系のドンキこと代官山に端を発した系蔦屋書店覗きに行ったら想像以上にスタバでMacでドヤ感が意識高く前面に押し出されて、何屋かわからない。そこはともかく、とにかく本の検索性が低い。この感覚で図書館運営されたらたまらねえなと感じ入る。思わず「普通の本屋行きたい…」と呟いたら弟に「俺も」と言われる。とぼとぼ歩いてたら目に留まったのがほぼ日腹巻きでガッツポーズ出そうになった!そう!ほぼ日感!ほぼ日手帳を自慢げに使うような感性の持ち主がボリュームゾーン!もう近寄らないことに決めました。そんでスケーターのインスタ見てたら「Je suis CHARLIE」というポストが続々と上がってて、なんだ?と思ってニュース見てフランスにおける表現の自由を考えたり、とにかく理系バカ・ボンボン・弟・モデルの人はメガネキャラ・基本的には女房の手のひらで転がされてる小学生・甘え上手なマッサンがタイプすぎて辛くなってたところ会津藩の話になってて北海道入植の歴史と父方の歴史を考えたり、「マッサン」も「ごめんね青春!」も風間杜夫にセルフバロディやらせて遊びすぎだろう…と思ってたら両方とも脚本大学の先輩で、ああそういうノリでしたかわかります、なんかすんません…って風間杜夫に謝ってたり、パイパー・ギルスがディスレクシアだと知り、あれ?双子だよね?アレクシーの方はどうなの?と思ったり、今や積ん読の下の方に押しやられてそうな「21世紀の資本」のトマ・ピケティの名前が美味しそうだなと思いつつ「パリ白熱教室」見てたり、保守分裂の佐賀県知事選で一人で盛り上がってたり、阪神大震災から20年で「その街のこども」再放送を見てガラケーに時代を感じたり、(岡田斗司夫とすれ違ったことがある通りの)ラブホ前でおばあちゃんにナンパされたり、Noism1「ASU~不可視への献身」を観に行って、自分で小説書き始めたりしてます。
Noism1「ASU~不可視への献身」感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150131


2月:シャトルシェフ導入で生活に革命が起こる。「ゴーストライター」見てて胃が痛いの通り越して背骨軋む。「パリ白熱教室」最終回にしてトマ・ピケティ(トマトとピザとスパゲッティが混ざったような名前だから美味しそうだと思ってたみたい)が仏語ではなく仏語訛りが大変に強い英語を喋っていたと判明し驚く。大家が部屋の更新を普通住宅賃貸契約から定期住宅賃貸契約に変更とか通告してきてファッ!?てなる。岡崎京子展へ行く。泣く。大学同期の友達に奢られに行くついでに新宿高島屋でいい年して喪服の一着もないのが心配になってきていたのでブラックフォーマル試着する。志村ふくみ先生の着物展示・販売会「しむらのいろ 〜山川色衣 草木色衣〜」に足を運んだら銀座駅のキオスク的なところで後藤浩輝騎手自殺という見出しが目に入り呆然とする。
岡崎京子展感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150305/
志村ふくみ着物展示・販売会感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150306/


3月:めっきり春めいたフロアに取り置きしてもらったブラックフォーマルを受け取りに行く。そもそも大家の要求が無理筋だった不動産契約がなんとか落ち着くがそもそもこの要求出してきたのって立ち退き絡みだよね?俺たちの戦いはこれからだよね?などと気を引き締めて向かった不動産屋のイケメン息子と気づいたらサッカーの話を2時間半ほどずっとしてた(合間に書類書いてた時間5分くらい)。最終的に不動産屋社長の父親が帰ってきてバルサの久保くん(この時点ではまだバルサ追い出されてなかった) が代表入ったら一緒に観に行きましょう!でやっと終わった。「2DK」のオタ不動産屋のエピソードが一気に身近になる(2人ともオランダ好きという共通点が見つかり盛り上がる)。MacOSをyosemiteにアップロードしたらとんだ地雷でこの後相当泣かされる。「かぐや姫の物語」テレビで見て姫に感情移入して(もしくはできなくて)語れる同世代若いな…私すっかり媼目線だわ…と遠くなる。「3日と18日はオリーブの日」ということをしっかり覚えていたので、片意地張らないで「大人のオリーブ」が付録についてる「GINZA」を買う。「オリーブ」はファッション誌じゃなくてオピニオン誌だったと再確認する。観世能楽堂さよなら公演で福王和幸師と出会ってしまう。2月3月と人間国宝現場回してみて、人間国宝人間国宝であることの意味を理解する。
観世能楽堂さよなら公演感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150407/


4月:白洲正子が習ってた能の流派が梅若流と知り納得する。岡崎京子展のお使いのお礼に大阪の友人から花を贈られてテンション上がりしばらく花をいけるブーム到来。2015年唯一の大型選挙イベント統一地方選ではしゃぐ。ローザスの「ドラミング」観に行ったら途中で大学生の時に行ったフィッシュマンズの「ロングシーズン」赤坂ブリッツ公演思い出してしまった。そしたら、私と同じ日にzAkさんも同じ空間でローザス観てたことわかり鳥肌が立つ。フィギュアスケートシーズンが終わりほっとしたら1日1行でもいいから書こうと思ってた小説まで放置プレイに。ネパールの地震を受けマザーハウスで何か買おうと思ったはいいけど、私が出せる価格帯のものがなかったよ消費税憎いよあんなもんなくしてしまえとキレてる。
ローザス「ドラミング」感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150503/


5月:マーティン・スコセッシの「沈黙」でキチジロー役が窪塚洋介と知り唸る。「沈黙」は色々思い入れがあるので、そのキャスティングで来るか!ちょっと調べたら村人役で加瀬亮も出ると知り、最終選考にこの人もいたのかなとか。英語力は加瀬亮の圧勝だろうからガチ選考だな、すげえなって「沈黙」再読したらあんなキチジローが窪塚洋介を念頭に置くと不思議とチャーミングになりスコセッシ流石だなとひとりごちる。高野文子「ドミトリーともきんす」原画と牧野富太郎原画の企画展開催している牧野記念庭園に行く。GW明けにざっくり気の置けない人々を近所にできて気になってた店に誘って下戸でもやっと入ることができて嬉しくなる。芍薬により生花ブーム最高潮。DC-NY間の列車事故ニュースを見てて、ああうちの従妹(NY近郊育ちDC在住)は日本国籍捨てたから「乗客に日本人はいない模様です」じゃわかんないんだなと気づく。ウィル・スミスらしきアカウントからインスタに「いいね!」をいただきビビる。やたら口唇ヘルペスが出来始める。「ガロ」でおなじみ青林堂がいつの間にかヘイト本の版元と変貌していてショックを受ける。
【企画展】漫画『ドミトリーともきんす』の住人 牧野富太郎感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150518/


6月:羽生結弦の新フリーが能や狂言の影響を受けて陰陽師安倍晴明と知り、フィギュアスケートが私のやっと見つけた安住の地まで追っかけてくる…!と困惑する(ちなみに2016年2月に大阪で野村萬斎師が安倍晴明演じる現代能をやるらしいので興味のある方はどうぞ。原作吉田喜重ってところがアツい→http://www.festivalhall.jp/program_information.html?id=876)。なでしこというかサッカー女子W杯見てる。今日マチ子「ぱらいそ」購読。2015年ベスト読書。「ニンフ」も電子書籍で購入したら百合子視線を通して、うわーユキ(マリア)とナオミ(継母)側で生きてきた私、他人からはこういう風に映ってたのか…と頭を抱える。父母が弟の家にやってきたのでついでに甥っ子に会いに行く。ヤマハのプライマリー教材が私が習っていた頃と内容変わっていなくて驚く。「私もこれやったんだよ」と甥っ子に言ったら不思議な顔されて、どうやら私が自分みたいに子供だった頃があるということを想像できないようだった。Noism1「箱入り娘」を観に行く。
Noism1「箱入り娘」及び今日マチ子「ぱらいそ」感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150630/


7月:なでしこというかサッカー女子W杯見てる。「スタジオパークからこんにちは平野レミ回が神回すぎて体調崩して出かけられなかったことにもはや感謝してる。これは感想書かなかったんですけど、千葉市美術館のルーシー・リー展に行ってます。ルーシー・リー展良かったです。70-90年代作品の部屋に入った途端に歌が流れ出す、自由律の歌が。そこまでの静けさが嘘のように作品がうたう。そしてその日にインスタでパパダキスから爆レスきて頭真っ白になる。入管で捕まって二重国籍怒られてその場で日本国籍放棄してしまったので今はアメリカ国籍しかない従妹が来日したので東京駅で捕獲してつるとんたんでおうどん食べたりスカイツリーに行ったり私の家の片付けしてもらう。電動歯ブラシブラウンオーラルBが壊れる。鶴見俊輔の訃報で驚くほど動揺している。心に穴がポッカリ空いた。貴重なインテリヤクザボンボン弟メガネが…(享年93歳)。世界水泳のシンクロだけ見てる。紫外線アレルギーが相当辛くなってる。


8月:青森の祖父母のところへ初めてねぶたの季節に一人で行きました。歯医者行ったついでに電動歯ブラシ買い換えるなら何がお勧めか聞いたらものすごく熱心にソニッケアープラチナを紹介されたのでそれに乗り換えました。
青森訪問記→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20150829/


9月:安保法案関連の政局に釘付け。頭の片隅では常に意識しつつも途中でほぼ放置していた小説書きのペース上げたぽい。利根川堤防決壊のニュースでナンシー関町山広美の対談集「堤防決壊」を思い出す。20世紀が随分遠くなったなと感慨に耽る。阿曽山大噴火の芸名を心配してる。国勢調査ネット回答のための調査書類きてねえよ、と問い合わせて誕生日迎える。21世紀の誕生日にピケが見れて国会からプレゼントもらい興奮する。5月から外に出る度にヘルペスができてしまい、日焼け止めかぶれなのかなあと思って唇には塗らないようにしてたら逆で日焼けのため口唇ヘルペスできていたと判明。この季節になって判明してなんか悔しくなってる。ラグビーW杯はオールブラックスのハカを見たので日本戦見てないけどとりあえず満足してた。その後の大騒ぎを知る由もなく。ヤマハから移った個人のピアノ教室でほとんどしゃべれなかったことを唐突に思い出し、あれは場面緘黙だったのではないかと急に疑い出し、発達障害検査を受けた方がいいのか考え始める。シテ方梅若玄祥師、ワキ方・福王和幸師の共演が観たくて探していたらたまたま直近の舞台の演目が「紅天女」だったので、原作漫画ファンに囲まれ若干アウェイ感味わいつつ観能後甥っ子の運動会に駆けつける。甥っ子が友達の家族のところに私を呼んでは紹介してくれる、「お父さんのお友達!」と。お父さんのお姉ちゃんだよ、と本人に伝えると「うん!お姉ちゃんでお友達だよね!」とかまっすぐ言ってきたのでそういうことにしておきました。そして幼稚園のグラウンドでiPhoneからギエムの引退公演チケ取り参戦してゲットしました。
新作能紅天女」感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20151018/


10月:「ニッポン戦後サブカルチャー史2」を見ていたところ、岡崎京子展って2015年に「リバーズ・エッジ」新装版が出るのに合わせて企画立てたと初めて知る。浅田真央マチュアなスケーターに化けて、ちゃんとマダムバタフライが似合う選手になっていて驚く。歯の詰め物が取れる。「思い出のマーニー」テレビ放送見てたら北海道の建物や風景や空気感やもてなしの料理まで見事にアニメで再現していて大変に贅沢な作りであることに感心する。ものすごく予算つぎ込んでるだろうに、とっても小さなお話を丁寧に作ってて「借りぐらしのアリエッティ」もなんだけど、この監督がジブリの人で一番好き。このロケハンがどれだけ贅沢で手間がかかっているかおそらく道民じゃないと伝わらない。函館ー札幌ー根室の距離がわからないと伝わらない。MacOSel capitanにアップデートしてyosemite地獄からやっと解放される。父親が収穫した栗を送ってくるのはまあいいとして、尋常じゃない量(推定5kgほど)を送ってきて困る。あの人私にこれだけ送りつけてきたということは軽く20kgは収穫してる。90過ぎの祖父母もそら怒るわ。自発的に食べたいと思える食材ではないのでおすそ分けに駆けずり回る。おすそ分けに行ったら近所の友達が引っ越しを決めたことを知り悲しくなる。小倉隆史グランパスの監督に抜擢されて全く意味がわからない。羽生さんの陰陽師のプロはハイドロとレイバックイナバウアーの弧の描き方が美しくていいですね、とこの時点ではまだそれくらいの態度でいました。ヤーズを連続服用して消退出血も止めてみたらPMSから解放されて「普通の人ってこんなに楽なの!?」と不思議になる。ショパコンファイナルもYouTubeで見てますね。「あさが来た」を見てたら最後の写真コーナーに澤田亜紀ちゃんが出てきてびっくりぽん!


11月:フィギュアスケートシーズンが本格的に始まり忙しいながらも小説書いてる、というか、むしろシーズン一緒に戦う気にならないとうまく集中できなかったみたい。今年中に書こうと思ってたけど、12月までに書こうに少し目標を前倒ししたので結構必死になってた気がする。体力の落ち方が尋常じゃない気がしてきて踏み台昇降運動を始める。ADHD外来受診しようと思って日本で一番有名らしい病院のサイト見たら気軽に受診できる雰囲気じゃなかったので、とりあえずダメモトで月一しかない予約取り参戦したら、大学生の時のチケ取りぴあ初日特電参戦時みたいなアナウンスを久々に聞いた。ここは諦めて他の病院探す方向に切り替える。パリ同時テロでTEB中止になりとんでもない喪失感を味わう。CORに出場してきたアデリナがまさかのカタリナ・ヴィット方向への進化を遂げていて私の好みの一貫性に感銘を受ける。ついでに言うなら宮原さっとんはクリスティ・ヤマグチ方向へ進化してる。全日本ジュニアと放送時間がかぶってた「洞窟おじさん」再放送を録画で捕獲して「人が怖いんだ」「優しくされたことがないからどうしていいかわかんねえ」「母さんも最初は優しかった。裏切られるのはもう嫌なんだ」「人を信じることができねえんだ」この深い人間不信にうっかり共感して自分の闇の深さに泣けた。



12月:仕事のことでもめてるのはあんまりここでは深追いしないでおきます。12月初旬に予約が取れた発達障害外来を受診する。次から次へと検査出されてきて千本ノックのごとく書く。無心に書き殴る。検査結果出したら次に診療受けられるのが来年4月以降とか言われて今の所臨床心理士の予約も取れないと言われる。そのことを引きずりつつ小説脱稿。120枚くらいかな?に1年というかほぼ11ヶ月かけたのが短いのか長いのかわからない。多分とっても長い。でもまあなんだかんだ書き続ければ終わるものなんだなと少し安心する。今のところ特に発表する媒体はないです。どこも受け入れてくれなかったら発表する場を自分で作る余力も今はないです。興味のある方は連絡ください。そんで羽生結弦が知らない間に国民的スターになってる様子を見てぼーっとしてたらギエムが新潟にいる写真を見かけて、あれ?私いつ公演行くんだったっけ?と調べたらその2日後で焦って発券。東京文化会館が異様な雰囲気になってたけど、私もそれに加担した一員だから何も言えねえ。ギエムの余韻の中を生きてたら弟の母校が高校ラグビー代表になってることで、地元の今の市長がそのラグビー部創設メンバーだったということを知り、その地域一番の進学校が甲子園出場決めた時の盛り上がりってこれが10倍になったくらい?と初めて皮膚感覚で味わってビビる(Jスポ様で試合見てたら抽選で対戦が決まった途端相手の学校にまで取材が殺到して向こうの監督苦笑という情報が挟まれていて道産子の本気を感じた)(地元出身の選手が少なくても「ラグビー留学」とは決して言われない感もすごかった)(国公立医学部志望の3年生がこの時期に花園にいて大丈夫なの…?センターまであと何日よ?とも思った)。女子校は甲子園も国立も花園も無縁なので、ラグビーイヤーの締めくくりに近いところで一番の盛り上がりが来てて(リーチマイケルの母校倒しての花園出場なんですけど、あそこの監督が花園かけた決勝で負けた途端にOB応援しに行けてたのでなんか結果オーライじゃね?って感じに私の目の届く範囲の道民はなってた)とにかく男子高校生スポーツカルチャーの底知れなさを味わう。男子文化難しい。弟の高校時代のサッカー部の写真にどう見ても日本人じゃないロベルト本郷的な存在感がある人がいて「これ誰?」と聞いたら勝手に顧問になったサッカー好きのメキシコ人修道士とか言われて理解するまで時間がかかったことを思い出すほど難しい。これが共学ならまた違うノリなんだろうけど、弟の母校は男子校の進学校なので距離感がよくわからない。距離感がうまく取れないことが悩みの一つだったと思い出し、臨床心理士の予定でたら連絡するって言ってたのに全く連絡がこない発達障害外来にこちらから電話したら、キャンセル出たから3日後これますか?と言われて二つ返事で向かったらADHD(正確に言うと多動はないからADD)確定診断出ました。勝訴って紙を掲げたい気分になりました。それで気が抜けたのか風邪を引き、紅白を見て星野源が往年のオザケン枠に入ってることに21世紀を感じる。紅白からシームレスにテレ東ジルベスターコンサートのギエム最後のボレロに移動して、ああこういうサッパリした感じちょくちょくフィギュアスケートで見るな、本当に最後なんだな、と泣きながら年を越し新年を迎えました。
シルヴィ・ギエム引退公演「Life in Progress」感想→http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20151225


2015年は福王和幸師を知り、「ぱらいそ」を読み、祖父母に戦争の話を聞き、その間ずっと頭の片隅で小説のことを考えて時々書いていた年という印象の残り方です。
特に「ぱらいそ」の舞台設定と作者本人の体験のズレが奇妙な世界観を作っていることへの私のこだわりがすごくて、平たく言うとカトリック設定であろう*1登場人物たちの振る舞いが非常にプロテスタント的であるところに対しての私の引っ掛かりがすごくて、私は戦争を描きたいというわけではないけども、私の「ぱらいそ」を描きたいなと思いました。というか、もしかしたら私の「沈黙」を描きたいのかもしれないです*2。自分と宗教、自分とカトリックの距離を考えてみたい。特定の信仰を持たない家庭で育ちましたが、なぜか父親の勤務先も私の母校も弟の母校もカトリックに関わりのある環境で、まあいろいろ思うところはある。今年はまだ材料集めの段階かな。でもしっかり準備して書けたらいいな。



福王和幸師が安倍晴明演じてる(そして野村萬斎師も出てるけど安倍晴明は演じてない)DVD

観世流能 鉄輪(かなわ) [DVD]

観世流能 鉄輪(かなわ) [DVD]

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

*1:『過去、遠藤周作の「沈黙」を読んで長崎をめぐり、当初は四部作の一部として漫画「ぱらいそ」を構想しました。』との本人ツイートからも推察

*2:私の「沈黙」読書体験は「カトリックの学校の中でこんな内容の小説読んでていいんだろうか」とドキドキしていたら、後年遠藤周作が「沈黙」執筆時に当時私の母校で教えていた修道女に相談していた手紙が公開されたという、時間をかけてなかなかおかしなものになってる

ボレロの先へ、ダンスの先へ

marginalism2015-12-25


 シルヴィ・ギエム引退公演『Life in Progress』の余韻から抜け出せなくなっていたらもう一週間経っていた。ギエムという類稀なる肉体言語がもうすぐ消えてしまう、と気を抜くと泣きそうになってたらフィギュアスケート全日本選手権が始まってしまうので、その前になんとかまとめておきます。

 会場に向かう前に緊張して吐きそうになる。ダンスを観に行く時にこうなるのは初めてだ。上野方面で他に用を足したかったけどそんな余裕もない。これ、演目が『TWO』と『ボレロ』の公演を選んでいたら少しはマシだったんだろうか。でも、この後に及んで新作を披露するギエムを心の底からかっこいいと思ったし、『ボレロ』以降の今のギエムを私は観たかった。過去の代表作の名声に甘えることなく最後まで新作にチャレンジするギエムのギエムらしさを尊敬したから、東京だけのプログラムのこちらを選んだ(地方でコンテンポラリーの新作の演目をやってもペイ出来ない、という興行的な理由もあるんだろうけど、単純にフォーサイスやキリアンやマッツ・エックのクリエイションの方に私は惹かれた)。

 東京文化会館に行く時はいつも5階の桟敷席なのに、今回だけ何故か高さと手すりのなさと角度のきつさに足がすくんで違う意味で吐きそうになる。よくよく考えると、いつも桟敷席だけど、1列目は初めてだったのでした。どこの会場もこんな角度で安全確保できるような装置なしにすれば、前のめりマナー問題も解消するんじゃないでしょうか。命の危険を感じる角度で前のめりになってる人がいたらむしろ尊敬する。とりあえず2015年12月17日で私の命が終わらなくてよかったです。観てる時は不思議と恐怖を感じていなかったのに、今思い返すとやはり足元からゾワッとしてくる。東京文化会館前川國男建築における反響板デザインにいつも心が和むのでそこに意識集中させてたけど、これ、音楽を聴きに来たならほとんど役目を果たさずイラッとするんだろうなとも思います。

 幕が上がったと思ったら、最初の2つはギエムが出ないで東京バレエ団だけなんですよね。最初の『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』って他のカンバニーが踊っているのをテレビかどこかで見たような記憶がうっすらあるんだけど、東京バレエ団のそれはフォーサイスの言語を理解しないまま聞こえた音だけでしゃべってます、みたいな印象でした。ウィーン少年合唱団が日本公演で「ふるさと」あたりの童謡を日本語の意味はわからないけどとりあえず歌ってみてるよ、みたいなのに近くて、発音が心許ないというか。ウィーン少年合唱団はそれでも日本語として一応聞こえてくるんだけど、東京バレエ団のこの演目に関しては何をやりたいのか全く見えも聞こえもしなかったです。他のカンパニーで見た時は言いたいことが何なのかは伝わってきたはずなんだけど、消化不良以前に体に入ってないんじゃないかと。
 次の『ドリーム・タイム』は言いたいことはわかったので、余計気になりました。『ドリーム・タイム』は良かったです。女性ダンサーが吉岡美佳さんなのもあったのかな。前にキリアン振付のドビュッシー『ヌアージュ』をBSで見た時に近いものがあると思ったら、『ドリーム・タイム』もキリアン振付だったわ。武満徹の音楽オーケストラのための『夢の時』がかなりドビュッシー寄りの作りになっていたので、似ているのもよくわかります。ああ私こういう文章書きたいんだよな、と思いながら休憩時間にロビーに出たら、近くでしゃべっている人が1曲目は良かったけど2曲目の踊りは全然印象に残らないって私の真逆の感想を言っていて私が書きたいもの全否定されてしまい少々ショックを受ける。そりゃまあキリアンじゃなくて無名の人間がこういうのやっても認めてくれる媒体はほとんどないっすよねわかります……でも、寄せては返す波を見ながら砂遊びしたり波打ち際で足つけたりそういうことしながら満潮になったり干潮になったりする様子みたいなものをひたすら描きたいというのはあります。海面白いです。特に冬の海は雪が静かに降って落ちて溶けて行く様子がとても美しいです。まあ夢でも雲(『ヌアージュ』は仏語で雲の意味)でもいいんですけど、こういう世界観好きです。音源に使われた武満徹が日本人だから東京バレエ団も解釈しやすかったのかどうかはわかりません、でも日本人にも踊りやすい曲や振付のようにも思えました。黙っていても日本人には汲み取りやすいものがある気がしました。フォーサイスは一切そういうところないので、アメリカ人らしいなとも思います。
 
 休憩明けカーン振付『テクネ』でやっとギエム登場。ギエムの肉体言語はまだまだどこまでも健在で続きそうに見えて泣きそうになる。ただ、一瞬着地の時に力を受け止めきれなくて乱れて体操選手のようにしのいだところでビクッとした。そういう時の咄嗟の動きには肉体の履歴が晒されてしまうんだなと。この人のネイティヴランゲージはバレエではなく体操なんだなと。アナニアシヴィリネイティヴランゲージがフィギュアスケートだと伝わってくる時にも心臓がおかしくなるけど、これ私だけなんだろうか。バレエやダンスの看板あげて踊っている人の出自が実は違うものだと明白に露呈した時に一人で勝手に気まずくなる。そしてギエムが限界のところで戦っているのもわかる。引退を決意した理由もなんとなくわかる。いつだってどんな舞台だってひたすらひたむきに謙虚に向かい合う人だから、どれも手を抜けないから、別れを告げるタイミングは今しかなかったんだろう。わかるけど寂しい。

 再びフォーサイス振付『デュオ2015』。外国人の男性二人の踊りは最初の東京バレエ団とは全く違って、フォーサイスの肉体言語のネイティヴが登場というインパクトを受けた。まるで違う人の作品のようにわかりやすい。フォーサイスの言いたいことをよくわかって伝えてくる。なんでこういう風に踊れるんだろう(東京バレエ団はなんでこういう風に踊れないんだろう)と首をかしげていましたが、プログラム見たら彼らはフォーサイス・カンパニーのダンサーなんですね。ネイティヴが正しく踊ってるのだから伝わってくるのは当たり前ですね。この作品、一瞬だけギエムが出てくるところがあるんだけど、フォーサイスのダンサーとも全く違う肉体言語を持っている人だということに驚いた。他の西洋人のダンサーの持つ雰囲気と一線を画す強靭な独特な個性を持つストイックさ。彼女が日本好きなのが理解できた瞬間だった。彼女の孤独の深さにも触れた。コリオグラファーは自分の手兵のダンサーを使って肉体言語を叩き込めるけど、ある一人のダンサーがその人固有の肉体言語を持ってしまったら、それはもうその人が踊らなくなると消え失せてしまうんですね。『ギエム』という肉体言語の特異さに改めて感じ入る。誰のどんな作品を踊ってもギエムはギエム。それから逃れられない。話者が一人の言語なので誰かに受け渡すこともできない。そのことは次のマリファント振付『ヒア・アンド・アフター』でさらに明らかになる。
 これ、エマヌエラ・モンタナーリの勇気を讃えるしかないですよね。ギエムの引退公演で新作で女性デュオの相手務め上げるって想像するだけで身震いするもの。振付自体がギエムという言語に合わせて作られててほぼ似たような動き(振付意図としてはもしかしたら同じ動きなのかもしれない)が続いて、ギエムと比較されるんですよ。ギエムの踊りってここしかないって空間にこれしかないってポーズで自分の身体を迷いなく見事に置いて行くことの連続だと思って見てるんですけども、それに比べるとどうしても線がぶれて見えてしまう。クレバーな迷いのない線があって、それに比べると意図を掴みきれないぶれた線が延々と平行に引かれているものをこちらは見ている気分になる。踊っている方はもっとその差を残酷に感じ取っているに決まってる。それでも食らいついていこうとする、『ヒア』から『アフター』を託されている、その役割を必死に果たそうとしている、継承しようとしている、ギエムは舞台を去るけど、彼女はこれからも立ち続ける、ギエムの言語は『ヒア』に置かれたままダンスは進み続ける、『アフター』がどういうことになるのかを見せつけた上で。その場にいた人間は歴史の転換点に立ち会ったと言っていいんだと思います。そして、エマヌエラ・モンタナーリは『ギエム』という言語を受け継ぐための努力じゃなくて自分自身の言語を作り上げて行こうとするダンサーだからこの演目に抜擢されたのかな、とも考えたりしました。恥をかいてでも手に入れたいものがなければ、恐ろしすぎて引き受けられないもの。
 ギエムは女性と踊った方が官能的なんだなと思いつつ、退廃的ではなくどこか健全で前向きな官能として伝わってきたのがもうすぐ消えてしまうこの言語の特性なのかな、など、ただ座って観てるだけなのに非常に脳味噌を消耗していたようでブドウ糖をひたすら口に放り込んで考えてたら休憩終わって最後の演目になっちゃった。

 マッツ・エック『バイ』、これ改題してくれて本当よかった。『アデュー』じゃ重すぎる。大学生の時、フランス語の授業中、先生が「アデューは特別なお別れの時にしか使わない、A DIEUとは直訳すると『神のみもとに』という意味になるから、そういう局面でしか使わない。普段使いで言ったら大変なことになるから、ただの挨拶なら絶対Au revoirを使ってください」と念を押されたことがあって、フランス人がフランス語から英語に変えてニュアンスも軽くしたことに、このお別れへのギエムの気遣いを感じた。マッツ・エックのクリエイション時の意図としては原題のままでもいいんだとは思うんですけども、これを引退公演の最後に踊る時に原題のままだと、ギエム何かあって戻ってこようと思ったとしても戻りにくいじゃん!あえての『Bye』でこうお互いまだ少し期待の余地は残しておこう、っていう気分ですよね。ギエム不器用で生真面目な人だろうから、そうしとかないと戻るに戻れないよね。『ボレロ』の封印何度も解いてるから、っていう観客サイドの期待もありますしね。でも、まあ、全体的には『神のみもとに』感は漂っていた。ベートーヴェン最後のピアノソナタをポゴレリッチ音源採用するあたり、ダンサーのこともよくわかっている。コリオグラファーの言語とダンサーの言語が一番よく融合していた。マッツ・エックはギエムのファイターとしての側面じゃなくて、おそらく素がそうであろう繊細で敏感な少女としての顔を舞台で表現するように振り付けている。マッツ・エックだから精神病棟風味は当然漂っていて、そういった閉鎖空間で踊り狂っている女の子の内面世界を見せつけるような作り。ご丁寧に彼女のキャリアでの代表作のムーヴメントもちょこちょこ取り入れて。でも、それにきっちり応えてコリオグラファーの意図を平然とそのまま踊るギエムはやっぱりファイターだ。こんなにも神経のか細い女の子が5階まで満員の大観衆からスタンディングオベーションを受け続けてきたってどういうことなんだろう。もっと彼女の踊りを体験したいけど、一刻も早く解放してあげたいとも思う。この人が無理だと思ったら無理なんだ、身体よりも心が満身創痍になってるんだろうなとも思う。芸術との戦いに敗れて精神病院に収容されたカミーユ・クローデルのことにも思いを馳せる。ポゴレリッチ音源から連想してギエムに比べてアルゲリッチは元気だな、とも感心したりもする。

 『ドリーム・タイム』の時点ではさざ波のようだった感情が『バイ』が終わると風と海の対話どころか喧嘩ぐらいに荒れ果てて、どうしようもなく立ち尽くして、感情が一向に収まらないまま電車乗ったら今度はお腹空きすぎて具合が悪くなってた。行きの電車では食べすぎたかな……って吐き気で気持ち悪くなってたのに、それは全部消化した上で全く足りなくて空きっ腹で倒れそうで、それ以来体調はずっと散々なんだけれども、あの時間あの場所にいれてよかったというのは嘘偽りのない本心です。内気で傷つきやすい女の子がファイターであり続けたこと、そうしなければ生きてこれなかったこと、人々から賞賛を受け続けることによるプレッシャーなど、彼女の長い歴史を考えると、一観衆としては身勝手に寂しくなったりもしますが、まずは2015年を無事乗り切って早く背負ってきたもの全てから解放されてゆっくりして欲しいと願っています。Merci,Sylvie!

武満徹:夢の時 管弦楽曲集

武満徹:夢の時 管弦楽曲集

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番/シューマン:交響的練習曲 他

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番/シューマン:交響的練習曲 他




追記:この公演を観た後にシルヴィ・ギエムはなぜピナ・バウシュを踊らなかったんだろうとずっと考えてたんです。マッツ・エックとのクリエイションのずっと先に見据えてあったものがピナ作品だったような気がして。そしたらギエムがインタビュー記事の最後でピナと仕事をしなかったことを後悔していると語っていて「ああ……」と思いました。一緒に仕事をするのが怖いギエムの気持ちもわかるから。でも絶対すごいものできてたんだろうなと、ついぞ観られなかった作品への憧憬は止まないです。

「後悔していることは、ピナ・バウシュと一緒に仕事をしなかったことです。彼女はダンサーのなかに眠っているものを開花させる方法を知っていました。要求の多い人でしたので、それが不安で彼女のもとに行くことができなかったのだと思います。彼女が私のなかにクラシックのダンサーしか見出さないことが不安だったのです」

http://courrier.jp/news/archives/7189

ピナ・バウシュ―怖がらずに踊ってごらん (Art edge)

ピナ・バウシュ―怖がらずに踊ってごらん (Art edge)

死んだ国の味 生きた国の味

marginalism2015-10-18


 この前「紅天女」を観に行ったんです、別に『ガラスの仮面』読者でもないのに。梅若玄祥師と福王和幸師がシテとワキで共演する作品ないかな、と探していたら、たまたま見つけたのが「紅天女」だったというだけで。なんでも良かったんだけど、私が能の公演を探すコツをつかめておらず、他に共演作品見つけられないうちにこの情報がナタリーに載ってしまって、チケット取れるか不安になりつつもなんとか確保して国立能楽堂まで行きました。
 私と『ガラスの仮面』は同い年なので、コアな読者世代ではないんですが、学生時代にコミック文庫が流行ったりしていたし、そもそも演劇学科がある大学だったので周囲でも愛読している人はいましたから、明らかにここの客では読者側に分類されてる扱いなのに漫画の内容ほとんど知らなくて(『紅天女』って実のところどんな話?と一応読者の友達に尋ねてはみたけど「綺麗なお話だよ」という情報しか得られなかった)なんとなく熱心な読者でチケット取れなかった人に申し訳なくなりつつ、でも国立能楽堂は好きな場所なので微妙な心持ちで時間をやり過ごしてました。能楽堂はハコ自体が小さいので一公演あたりの収容人数もこじんまりしていて好きです。特に国立能楽堂は全てがミニマリスムの極致で洗練されていて好きです。ここの座席に座っているだけでなぜか初めての時から自分の居場所に来たような気分になるので、美内すずえ先生のありがたいお言葉とか、私のわからない楽屋話で温まっている会場の中にいても孤独を感じることがなくていいです。
 ただ、美内すずえ先生の新作能を仕立てる際のリクエスト「誰も天女を見たことないから天女の舞をたっぷり見せてください」はいいんだけど「分かりやすい言葉で作ってください」はいらないなと思った。これ、『ガラスの仮面』読者か能楽愛好家が客になるものでしょ?古語調と現代語調の使い分けで異化効果を狙う作りにしていたけど、役者の力でそんなことしなくても充分なものになっていた。あと美内すずえ先生の思想が能として洗練されずそのまま挿入されていて、その部分は俗っぽく、かつ薄っぺらくて冒頭の月影先生ごとカットできるなと思った。他の表現形式なら採用してもいいんだろうけど、能としてはくどい。冒頭に月影先生の語りが入るメタ構造だったり(ここは多分『ガラスの仮面』読者用のサービスで、後々切り分けることが可能な作りにしてるんだとは推測できる)より古い時代をあえて現代語にしたりという意欲は買うけども、整理され尽くしてはいない印象。能楽って限界まで削ぎ落とされている美学があればこそのものだと思うから、作品としての完成度はどうなんだろう、素材自体はいいので美内すずえ先生の目の届かないところでこっそり改訂版作っておいてほしい。

 その他にも笛方がひどかったり、地謡のクオリティが揃ってなかったり、茂山千五郎家の芸風の新喜劇ぽさが私に合わなかったり細かいことはいろいろあるんだけども、結局シテとワキの素晴らしさにそんなもの吹っ飛んでしまいました。

 福王和幸師の一真の舞は目が醒めるような美しさだった。感動して涙が出そうになった。美しくて切なくて、全て諦め静かに宿命を受け入れてゆく在り方の強さに涙が出そうで、私はこういう男の人が好きだと思った。
 梅若玄祥師の天女の舞は目が眩むような美しさだった。この世のものとは思えぬ佇まいに誘われ異世界に入り込んでしまいそうになりかけては、身じろぎひとつせず天女の舞を見続けている一真のひたむきな在り方を見てこの世に心を繋いだ。
 梅若玄祥師のシテらしいシテ、福王和幸師のワキらしいワキ、それぞれひたすら美しい。種類が違う美しさを邁進している。この二人の組み合わせをまた観たいと強く思ったし、私も彼らに負けないよう自分の役割に見合った美しさを追い求めて生きようと誓った。

新作能 紅天女の世界―ガラスの仮面より

新作能 紅天女の世界―ガラスの仮面より

 

20歳、青森の夏。25歳、広州の夏。

marginalism2015-08-29


 8月の初旬に青森の祖父母のところへ行ってきました。東京から青森の奥地の祖父母の家まで3時間ちょっとで行けて、新幹線の威力を思い知ったのと同時に、幼稚園児の頃だったらまだ青函連絡船津軽海峡渡って揺られて酔ってる最中で、吐き気を催して紙袋持ちながら「だから青森行くの嫌だ」と海の上でぐずってる時間帯かと思うと時空が歪んできました。
 祖父母の家がどれだけ田舎であっても新幹線で行けるようなところだったら私はあれほど父の田舎を忌み嫌うことはなかったんだろうか。青函トンネルが開通して船から解放されて気分的にはかなり楽になったのは小学生の時でしたが、それでも祖父母の住む町に鉄道が通ってなかったので青森駅着いてからの道のりが更に難儀なのは同様で、やっぱり疲弊してしまい、孫がやってくると待ち構えて出迎えてくれる祖父母に対して毎回随分ひどい態度だったような気がします。海を挟んでいるとはいえ隣の県で距離的にはそれほど遠くないのに嫌がらせのような一日がかりの遠回り移動になるのを不思議に思って「なんでここには汽車がこないの?」と祖母に尋ねたら「昔、線路を敷いたら疫病が入ってくる、と町の人が反対したから」という話を聞かされ、あまりの閉鎖性に息苦しくなったものです。とにかく何もないため新幹線の用地買い占めも難しくないので『新幹線建設予定地』と錆びた看板だけが建っていた場所に本当に新幹線が通って、しかも祖父母が存命で新幹線に乗って会いに行けるということを昭和の小学生の私に教えても絶対信じない。新幹線降りてタクシーで10分で行ける距離になるとか意味がわからない。が、新幹線の駅からタクシーに乗って5分もしないうちに未舗装の道路になるあたりは私がよく知っている祖父母の住む田舎だ。新幹線の駅から車で5分の距離がそんなことになってるというのも不思議になるけど、元から磁場が狂って抜け出せない森のようなところなので、もうぐちゃぐちゃ考えないことにしました。
 
 今年の夏は「戦後70年」とやたら喧しく、去年の原爆忌に「来年は戦後70年の節目であります」とか言って文化祭前夜祭レベルの扱いしかしていなかったのも納得するほどでしたが8月に祖父母の家に行くとなると意識せざるを得なく、NHKアーカイブスで拾った玉音放送のページをチェックしてから行きました。そういえば8月15日に外地にいたはずの祖父はこれを聞いたのかな?と気になり、それ以上の深い意味もなく。

 祖父母の家に一番寄り付かない孫が一人でふらっとやってきたので、95歳と90歳の歓待はこちらが申し訳なくなるほどで、あれ?もしかして舅や姑に異常に気を遣う母がいなければもっとおじいちゃんおばあちゃんと仲良く距離を縮めることができたのかな?って目にひっついてた氷が剥げ落ちたような感覚になりました。私がこの家で萎縮してたのって親のせいか!と、自分の親ではなくNYから帰省中の叔母と祖父母と過ごしてわかりました。長男と長男の嫁ではなく、代わりに末っ子気質の叔母がいると、ものすごくこちらも伸び伸びできる!なんだこれ!って、ちょっと青森にごめんなさいしました。悪かったのはアクセス難易度の高さとそこに行く道中で機嫌が悪くなる両親だったことに気づいた。この二つがなければひたすら気が抜けるだけの田舎だった。
 気付けばそんな田舎の台所で祖母と叔母と女子会のようなノリで喋っていて、男の人はいくつになっても少年の心を持つとか言い張るけど女の人もいくつになっても少女の心は持ち続けているんだと思いました。違うのは、男の人は少年の土台に超合金ロボットみたいに色んな部品を装着していくんだけど、女の人は少女の上に色んなレイヤーを重ねていくことです。そして、場の空気によってレイヤーを使い分ける。それを目の当たりにしました。
 女子会の場が温まったところで戦争の話を切り出してみたんです。その時、目の前にいる90歳の祖母が少女になる姿を見ました。祖母が語る戦争は、間に母が挟まっている時は「おばあちゃんの昔話」だったんですが、常に目の前にいる人を姑と固定した認識で接する母の傘から解放されると、「おばあちゃん」は「少女」になってました。「少女」というか、もっと正確に言いますと『わたしが一番きれいだったとき』の感性を共有している若い女性になっていました。少女であった自分を振り返る若い女性でした。あとで調べたら茨木のり子と祖母がほぼ同い年だとわかったので、眼前にいきなり茨木のり子の世界が拓けてしまったと感じたのは間違いではなかったです。玉音放送の日はどんな感じだったのか訊いてみたら、「ラジオの性能が悪くて何を言ってるんだかさっぱりわからなかった」と言うのでiPhoneを取り出してNHKアーカイブスにアクセスして音を流してみたところ「これはよく聞こえる!あの時は何言ってるんだか全然わからなかったのに、これならわかる!」と無邪気に興奮して私のiPhoneを手にして何度も聞き返してました。その時のおばあちゃんは好きな音楽を聴いてる学校の同級生みたいに見えました。もう、その場にいた全員が実年齢ではなく、楽しそうに玉音放送を聞いているおばあちゃんの気持ちと同じ年齢の女の子になっていました。

 私は昔から戦争体験話を読んだり聞くのが好きな方で「祖父母から戦争体験を聞く」みたいな夏休みの宿題が出る人は羨ましいなと思っていましたが、「インターネットにアップされた玉音放送を楽しそうに聞く祖母」というのは、「おばあちゃんの戦争物語」の枠をはみ出ていて、なんとなく違和感があって困惑してきたので、祖父にも戦争の話を聞いてみました。


 祖父のテンションは祖母とだいぶ様相が異なるものでした。『わたしが一番きれいだったとき』は送り出す側、銃後の守りという戦地を体験していない人間の感覚です。送り出された側、戦地を体験している人間は突然饒舌になったり無口になったり、95歳になっても全然気持ちにケリがついてない。祖父の口から出てくる地名をiPhoneで検索してwikipediaの項目クリックして「ここ?」と見せたら、びっくりして「これはなんだ!?」ってひみつ道具を見たドラえもんのび太の周囲の大人みたいになってるんだけど、びっくりした後はその道具について追究するよりそこに書かれてることや地図に見入ってたので、話を聞く資料としてそれほどノイズになるわけでもなく役目は果たしてました。
 祖父の戦争の足取りをまとめると、満州ソ連の国境(マンチュウリと言っていたので満州里というところのようです)に最初飛ばされて、そこから南方にどんどん下っていって、途中沖縄戦の助けに行くとかで金門島あたりまで行くけど沖縄陥落で香港に戻って、そこから広州に移動したところで終戦だったみたいで、その直後、国共内戦のために野砲を使いたい支那人(国民党陣営か共産党陣営かわからず)にご飯をもらう代わりに武器の使い方を教えてから長崎あたりに引き揚げてきたということらしいです。満ソ国境から香港って相当距離あるよね?何年くらい戦争行ってたの?と思ったところ8年弱くらいらしくて、あと数ヶ月兵隊行ってたら軍人恩給もらえたのにほんのちょっと足りなかったとのことで、8年弱?って少し考えてしまったんですけど、戦後の教科書で育った私は「戦争」というのは真珠湾攻撃から玉音放送までだと思ってたんですが、日本ってその前からずっと満州事変やら支那事変やらで戦闘状態にあったんですよね。
 祖父の8年弱ということにされている戦争体験は、玉音放送も敗戦も知らず、それを伝えにきた米兵撃ち落として、初めて敵を討ち取ったとはしゃいでいたらアメリカにめちゃくちゃ怒られたとかいう時期が加算されてるのかどうなのかはわからないです。

 天皇陛下から敗戦を知らされなかったおじいちゃんもおばあちゃんみたいにはしゃぐのかな?と思って玉音放送流してみたら、おじいちゃんはほぼ無反応でした。少なくとも表面的には、聞いていないものに対しては思い入れの持ちようなどないという様子でした。おじいちゃんの戦争体験の話は断片的でしかなくて、おばあちゃんの話のようなまとまりがありません。感情としてもまとまりがないのでしょう。結局一番印象に残るのは「もう戦争のことは忘れるようにしてるんだ」とか「戦は嫌だ」とかぽつんと呻くように出てくる言葉でした。鶴見俊輔が「戦争から戻ってきた兵隊は何も話さないんだ。だから戦後の日本には無数の断絶があった。そんな家庭が無数にあった」みたいなことを言っていた意味がこの時初めてわかりました。そして私は戦争のことを何もわからないんだ、と初めてわかりました。

 いっぱい戦争体験の本を読んでなんとなくわかった気にずっとなっていたのに、身近にいるおじいちゃんとおばあちゃんの戦争の話のトーンがこんなにずれていることに対してすら気付いていなかった。一般的な戦争体験の話と共通しているところしか耳に入ってこなかったからだ。それは学校や教師、社会にとって都合のよい温度の「戦争体験」だ。iPhoneを握って無邪気に玉音放送を繰り返し聞くのどかさも、語ることができない沈黙の重さも省略されている。
 戦争が終わった直後に祖母は三沢からやってきた米兵に接して全然怖くないじゃないか、と思ったらしいし、祖父は次に戦争をする支那人(中国人と言うこともあるけど、支那人の方が言いやすいみたいでした)に武器の使い方を教えていた時が一番気楽だったという。でも、アメリカ人や中国人じゃなくソ連兵と接した人はまた全然違う体験なんだと思う。なのに一人一人の個人的な体験が「戦争体験」という大雑把な括りで一つのものになってしまう。なぜなら一つのものにしてしまう語り口や捉え方を戦後教育を受けた人間は学習させられているからだ。戦後を生きる子や孫の受け取り方を彼ら彼女らは知っているのだろうか。同じ番組を見ていても一人一人全く違うものを感じ取っている断絶。戦争の罪とは人々の間にあらゆる断絶をこさえてしまうこと、そしてその断絶について口にすらできないことなんじゃないかと今ちょっと頭によぎりました。
 私の「戦争反対」と祖父の「戦は嫌だ」は全く違うものだ。祖父の体に乗っかっている全ての体験が込められた「戦は嫌だ」の情報量を私はほとんど読み込めてない。茨木のり子の詩の言葉ですら、祖父の一言の前では軽薄な文字列へと解体されてしまう。そして昨今の国会中継の言葉がやけに浮ついているのは、祖父のような重みを背負った人々が既に国会議員を引退してしまったからだともわかった。国会の外から発せられる彼らの重みはもう、中には届いていないのだ。彼らと私たちは何も共有していない。彼らがずっと恐れていたのはこれだったのか、と愚かな私はようやく気付く。戦争体験者がこの国から消えてしまうことがどういうことか、失いかけて初めて気付く。
 今の私よりずっと若かった25歳の青年や20歳の乙女は、70年前の夏空をどんな気持ちで見上げていたのだろう?

Les enfants du Paradis/戦争と一人の少女

marginalism2015-06-30


 Noism1の近代童話劇vol.1『箱入り娘』をなんとなく真ん中らへんの日がいいかな、と思って水曜日のKAAT公演で観ました。
 私、舞台装置で本が置いてあるとしげしげと見てしまって、『カルメン』の時は学者の机の周りに古い洋書が並べられてるのを、そこに役者がいるのを気にせずに、むしろ客が接近したらどういう反応するのかな?と仕掛けるくらいの気持ちで何が置いてあるのかチェックしたら、スピノザがあったのくらいしか覚えてないんですけど(キリル文字の本があって、一生懸命解読してみて、あ、できた!と喜んだらそれがなんと書いてあったのか忘れた)、今回のNe(e)tの部屋には『最終兵器彼女』と『ピューと吹く!ジャガー』が置いてあったのを目視確認できた。Ne(e)tの部屋が私基準では綺麗すぎて片付けられない人間としては少し腹が立ちましたけど、あの漫画群がメンバー私物だと思うと愛おしい。部活みたいに回し読みしたりするのかなって、部室にそういうものを持ち込みがちな人間だったので少し懐かしい匂いがした。漫画回しておきながら自分はテストに出るスピノザ勉強してたりしたわけですが。
 いつもと違うスタジオ公演だし、なんかスピリッツとかジャンプで連載してた漫画の単行本置いてあるし、一体何が始まるんです?と思いながらチラシ見てたらNoism15-16シーズンのスケジュールに脚本:平田オリザの名前見つけて目を疑った。あんな部室から東京に飛び出して出会った大学の友達が学生時代に平田オリザワークショップ行ってたなと思って連絡したら、やっぱり驚いてて、でもあまりにもNoismNoism私がうるさかったからか興味あると言ってくれたので、再演の『カルメン』一緒に行こうという話になった。大学の時に一緒に橋口亮輔渚のシンドバッド』を観に行ったら、私が自分に浜崎あゆみの役(境遇がほぼ一緒)を引き寄せすぎて映画館で倒れたのを介抱してくれたいい友達です。
 本題に入らずうだうだ思い出話書いているように見えるのは、「箱入り娘」として育てられたはいいけれど、箱に空気穴がなくて窒息しかけて箱を蹴破って館を飛び出て東京に亡命してきたからこそ今があってこの作品を楽しめた、という自分のヒストリーが観終わったあとに誇らしくなったからです。
 物心ついた頃には本を読んでいました。物心つかない頃から本を読んでいたらしいです。なので正確に言うと物心ついた頃には絵がついてない本が読みたいと思って文字を必死に覚えていました。幼稚園の時に小学3、4年生以上向けの本を読めて嬉しくてどんどんチャレンジしてたことがその頃の一番の思い出です。インターネットがない時代、本は唯一の空気穴でした。生き延びるために大人の本がとにかく一刻も早く読みたかった私にとって、ずっと読むのも書くのも一番難しいと思っているのは、絵本・童話・児童文学なので、Noismの「近代童話劇」という挑戦は随分と厄介なところに行ったな、と感じましたし、ここに焦点を絞った狙いも分かる気がしました。
 こういったジャンルって徹底的に地力が試されるんです。ごまかすことができないんです。子供の反応って残酷なんです。自分基準で面白くなければすぐ飽きちゃって離れていくから。あんまり深読みとかしてくれないから。私が安住することを許されなかった大地で子供たちは絵本を、ジュブナイルを読みます。そういう子たちに世界観の呈示をする時には、基礎の基礎がしっかり出来上がってないと無理なんです。不安定なものを幸福な子供たちは受け入れないんです。これは徹底的にカンパニー全体を鍛えるためのシリーズなんだと私は理解しました。客との距離が近い、公演回数が多い、子供限定・老人限定の公演もある、それらは全て、ごまかさず徹底的に開いていかなければ相手に受け入れてもらえないシチュエーションです。そこでどんな人にも充分楽しんでもらえる作品を出せるか問われるのは非常にシビアです。あの距離で人数だと飽きてる人なんかすぐわかる、でもそういった緊張感を押し付けたら観客が楽しめない、自分たちがまず徹底的に楽しまないと伝わらない。そしてそのハードルをクリアしてみせたカンパニーの全員を私は心から讃えてました。子供の頃だったら楽しめたかどうかわからない、今観れて良かった。そう思って、自分の子供時代を振り返って、この作品を楽しめる要素があったか検討しました。
 井関佐和子の衣装が『星の銀貨』の挿絵みたいだった、井関佐和子(箱入り娘)のライトモチーフの音がクラリネットだった。私が子供だった頃、合唱のピアノ伴奏をするのが嫌で嫌でたまらなくてピアノを習っている子が呼び出される度に逃げ回っていたけど、あれはピアノ伴奏者が主役になってしまう舞台だからで、本来は私は伴奏者として生きていたい人間でした。子供の頃から悪目立ちしてしまうので、ピアノ伴奏から逃げ回ったところでどうやっても舞台に引きずり出されてしまっていたのですが、それは本意ではありませんでした。密かな夢はオーケストラボックスに入ってバレエの伴奏をすることでしたし、そこに花があるならその美しさを際立たせるための葉として生きたかったですし、なのに無理やり花を押し付けられてはそこから蹴落とされての連続で生きることが面倒でした。そういう時に『星の銀貨』や『人魚姫』は私によりそってくれる数少ない童話でした。星の銀貨の主人公みたいな衣装を着ている女の人が自分が受け入れてる作曲家の曲で自分の楽器に合わせて踊ってくれてるなら私の夢は叶ったんじゃないかって、自分が演奏しているわけでもないのにすっと腑に落ちたので、これは子供の私にもそっと置いておくと受け入れられるものじゃないかという判断が体に広がった瞬間に少し涙ぐみました。


 最近、これと似たような感覚に陥ったことがもう一つあって、今日マチ子『ぱらいそ』を読んだ時のことです。これは今日マチ子の戦争三部作で初めて「普通」の少女が主役になった作品です。私には「普通」がずっとよくわかりません。物心ついた頃から「普通であればいい」「普通じゃない」と言われ続けてきましたが、何が「普通」なのか誰も教えてくれませんでした。わからない「普通」を自分がなんとか守れているか、そのことにずっと怯えていました。「普通」は常に揺れ動いているのに何も説明されず、押し付けられることに疑問を持っても受け止めてくれる相手がいませんでした。私が必死に本を読んでいたのは生きるために「普通」を知りたかったからですが、本に出てくる主人公は大抵「普通」ではないので、「普通」ではなくても生きられることに慰められはしましたが、「普通」はわからずじまいでした。
 「普通」ではない私は今はもう戦時下に生きていると思っていますが、とりあえず「普通」の世の中は戦争前夜と捉えている人はそれなりにいますけど、まだ始まってると認識されてはいません。

 2009年から戦争と少女を題材にした作品を描き続けている今日さんだが、近年の情勢のせいか、読者の反応が変わりつつあることを実感している。「以前は『昔のこと』と捉えられていたけれど、最近は『これから起こりうること』として読まれている。ちょっと不思議な感じですね」

http://www.47news.jp/CN/201506/CN2015061501001552.html

 今日マチ子本人が感じている読まれ方からもそれは受け取れて、「普通」の読者の反応は『もう起こり始めていること』ではなくて『これから起こりうること』なんです。
 私はめったにコンビニで食料品を買うことがないんですが、以前、たまたま調理パンのコーナーに入り込んだら焼きそばパンの大きさが私が知っている2/3程度しかなくて、なおかつ値上がりしていたことに驚きました。それを見た瞬間に「贅沢は敵だ!」「欲しがりません勝つまでは!」というスローガンが頭をよぎり、日常が戦争に侵食され始めていると感じ取りました。私の感性はそれを否定することができませんでした。なので、『ぱらいそ』の冒頭部分にこういった有名なスローガンが出てきた時に背筋が寒くなりました。その世界観を生きている人々のほとんどが、まだその状態を少々窮屈ではあるけれど「普通」だと思い込んでいる導入部です。そこで「普通」とされない女の子は主人公ではありません。これは覚悟のいることだと思いました。
 戦争三部作のうち『COCOON』は王子様の繭に包まれたお姫様のお話でしたし、『アノネ、』は世界で最も知られているユダヤ人少女がモチーフのお話なので説明するまでもなく、その作品に対して何より雄弁だったのは後編のオビに入っていたコメントがまだ女優としての自我も色も持っていない頃の前田敦子だったことです。あっちゃんのコメントは何かを言っているようで何も言っていない。その言葉の奥に無限の余白が広がっていて、人々を熱狂的に惹きつけたのは、本人が何も言ってもそういった真空状態の余白が揺るがなかったからこそだ。人は余白があると落ち着かなくなりそこを埋めたくなる性分を持っていて「あっちゃん」というキャンバスが提供する異常さこそが「アイドル」だった。それはアンネ(花子)も共通して持ち合わせているものだ。世界中に広まるにはそれだけの余白がないと語り甲斐を得られない。「アイドルの悲劇的な生涯」は「普通」の人の大好物だ。
 この流れで行くと『ぱらいそ』の主人公はユーカリではなくミルラになるはずだった。ミルラが持つ「欺瞞的な白」は決して揺るがない。自分を白く保つためには本質的に何人たりとも傷つけることを厭わない。カトリックにおける『無原罪のマリア』という欺瞞信仰を貫くようにミルラは天使になる。今日マチ子の他の作品では主人公になるべきキャラクターはこのミルラだった。でも、『ぱらいそ』ではそうしなかった。それなら次に主人公にふさわしいのはドラマチックな背景を持つセリだ。半島出身で体を売る「偽悪的な黒」に満ち溢れた少女。私個人としてはセリが感情移入しやすいですし、こういうキャラクターが描きやすいんだとも思います。が、やっぱりカトリックの人気者である『マグダラのマリア』を背負わせられているようなセリは私の高校時代までの口癖を叫びながらマグダラとしての役割を全うしてぱらいそへ旅立った。セリが旅立った日は聖母被昇天の祝日だから、ミルラが手を引いてぱらいそへ連れて行ってくれたのだろう。聖母にもマグダラにも染まれないユーカリは「普通」の迷える子羊だ。どっちにも染まる覚悟ができなくて無色透明になろうと渇望して揺れ続ける。「普通」の少女を、「普通」の少女も、主人公として描ける今日マチ子は作家としてとても強い。「普通」を真ん中に据えて話を動かすのはとても難しいのに、それを遂行し「普通」が一番強いことだと最後に伝えられる人には勝てないなと思う。
 ユーカリという人物に対してはあまり作りこみせず、結構素直に今日マチ子自身を投影しているなと思ったのは、彼女がカトリックの学校ではなくプロテスタントの学校出身であることや右利きであるだろうことがユーカリの行動から読み取れるからです。

 わたしは、中学高校とキリスト教の学校に通ったこともあり、教会が好きだ。と同時に、中高で与えられた大きな謎がキリスト教と、戦争だ。毎日礼拝をし、聖書を読んでいたわりにはキリスト教が何なのか、わかってはいないのだけど(まあ半分は居眠りしていたし……)、なにかしらの影響を受けているとは思う。

http://juicyfruit.exblog.jp/21349217/

 これは私にも共通した感覚なのだけど、今日マチ子カトリックの影響を受けた人であったら、右手にはもっと簡単に「良いこと」の意味を付加できる。カトリックではとにかく十字を切る。毎朝毎晩十字を切る。常に右手を使って。毎日、登校後と下校前のお祈りの呼びかけと、一週間全校放送の朝礼の担当をすればいいだけで、宗教的意味合いから目をそらせば負担が少ないという理由で典礼委員をやっていると、信者でもないのにとにかく何かあると十字を切る習慣が体に残る。ましてや人の生死に関わる局面でそれを描写しないことはあり得ない。何も考えずに勝手に体がそう動く。なのに『ぱらいそ』ではどこにもそんな描写はなかった。そしてキリスト教自体が右手礼賛左手迫害の宗教であり、元が左利きなのに右を使えと「矯正」された私にとって左手は「抑圧された本来の利き手」、右手は「使うことを強制された表面的な偽の利き手」なので、良いことも悪いこともぜんぶ右手にかぶせることに違和感があって、表面的に良いことをなすのが右手、本能的にどうしようもなく衝動で悪いことを働いてしまうのが左手、という描写にしないと落ち着かない。最終的に右手の支配から左手が解放されて戦争が終わる、という落とし込み方をすると思う。でもそれは「普通」じゃない。あくまでも左手は右手のスペアでしかない、という右利きの感覚が「普通」なんだ、というのは、右と左が引き裂かれてどちらも満足に使えず、お箸を持つ手とお茶碗を持つ手がどっちがどっちなのかわからず、わからないということすらわかってもらえないままその時期を過ぎ、結果、未だに右と左が瞬時に判断できない不器用な私にとっては新鮮で衝撃的な事実だった。気負わず描いてくれたからこそ見えるものもある。右利きの感性を私は『ぱらいそ』で初めて知った。自分の世界が統計として少数派なのは知っていても、それがどうおかしいのかわかっていなかった。「普通」の世界を教えてくれた本に初めて出会った気がした。
 「普通」は強い。「普通」は負けない。「普通」ではない人間に嫌味なく「普通」を伝えられる才能は稀有だ。私は「普通」を描けず、「普通」を描ける人がいてこそ私は初めて成り立つものだと思ってきたから、こういう人がいるだけでほっとするのと同時に「普通」を一手に引き受ける人の荷物の重さについても考える。それがどういうものなのか私にはよくわからないけど、でも、一緒に戦える人だし、一緒に戦いたいなと思った。十字を切って手を握って。

渚のシンドバッド [DVD]

渚のシンドバッド [DVD]

語るためのグリム童話〈7〉星の銀貨 (語るためのグリム童話 7)

語るためのグリム童話〈7〉星の銀貨 (語るためのグリム童話 7)

バルトーク: カンタータ・プロファーナ / バレエ「かかし王子」

バルトーク: カンタータ・プロファーナ / バレエ「かかし王子」

新緑の光線

marginalism2015-05-18

 昨日の夜、会うたびに山下清度を増している画家の友人が自転車で通りかかったと近所にいきなり来たので、ベンチに座って話し込んでいたところ、そういえば私、高野文子の原画を観に「【企画展】漫画『ドミトリーともきんす』の住人 牧野富太郎」まで行ったことについてまとめてないなと気づいたので書き留めておきます。

『ドミトリーともきんす』特設サイト【イベント情報】牧野記念庭園で企画展スタート!→http://dormitory-tomokins.tumblr.com/post/116732324389
牧野記念庭園→http://www.makinoteien.jp/01-schedule/index.html

 『ドミトリーともきんす』の住人のうち、湯川秀樹朝永振一郎ノーベル賞受賞者として知っていて子供用の伝記も読んでいましたし、中谷宇吉郎ノーベル賞候補だった雪博士として私の故郷では大変尊敬されており、やっぱり学校の図書室で地元の新聞社が出したような本を読んでいた、私の知識の中にフルネームで既にいる偉人たちでした。ただ一人、牧野富太郎だけは、なんとなく名前知っているような知らないようなうすらぼんやりした存在で、湯川博士や朝永博士や中谷博士がこういうキャラクターになるんだ!というその元ネタがない、高野文子の描く「マキノ君」が先に頭の中に根付き生きはじめた人です。

 なので、実在人物としての牧野富太郎をよく把握せず、牧野記念庭園に行ったら、ものすごく「マキノ君の庭」のイメージにぴったりで、牧野富太郎だろうがマキノ君だろうがどうでもよくなりました。常設の方のマキノ君の年表見てたら植物が好きすぎて学校も行かずに独学で勉強したりイラスト描いてるうちにその道の学者の人とコネクションができて新種発見してその分野の学者でもある時の天皇陛下から表彰されるってなんかどっかでこういう話最近あったような……?あ!さかなクンだ!と繋がったので、今生きてたらタンポポの綿帽子でもかぶってテレビに出てたんだと思うし、さかなクンが亡くなったあとの自宅の池や水槽なんかを自治体に寄付してちょっとした水族館みたいなものができたらマキノ君の庭みたいになるんだと思う。そして私はそういう場所をとても好ましく思うはずだ。
 マキノ君の庭は今まで行ったどの植物園より居心地が良かった。マキノ君の晩年の宇宙が無料開放されて憩いの場になっているのはとても素敵だ。そんな場所でGW明け最初の開館日に高野文子の原画に会えるのは最高に素敵だ。そんな気持ちで牧野富太郎高野文子二人展と化していた企画展の部屋に入って原画と向き合ったら、非常に疲れた。
 高野文子の原画のテンションがとにかく半端ない。高野文子の線ってもうここにしか収まらないというところにだけしっかり引かれている印象があって、その線をすっと見つけて筆を入れてるのかと思ったら、その線にたどり着くまでの格闘の跡が泥臭いまでに伝わってくる。岡崎京子の原画は迷いのない線の勢いが美しかったんだけど、それと対極でした。岡崎京子のスピードなら多作になれるだろうし、高野文子のスピードなら寡作やむなしだなと、漫画の原画見ると線のスピードってこんなにわかるものだったかな?と少し驚くくらい違いました。ほこり一つたてただけで全ての線が止まってほこりの原因を探るための捜索活動が神経質に繰り返されていそうな緊張感に耐えられず息苦しくなって、途中で一旦企画展の部屋から抜けてクールダウンした。座った場所の窓越しにある植物が美しくてゆるやかに構えていて、高校時代に図書室の衝立がある一人がけの机の席から見える一本の桜の木を思い出した。
 私はひっそりとした場所に一本だけ植えられている割には堂々としている桜の木が大好きで、弱ったらいつもその木を見て何も言わずに会話をしていた。私が卒業してすぐ、その場所に中学校の校舎を建てるので伐採されてしまった今はもう存在していない木。私が卒業するまではなんとか持ちこたえて支えてくれた優しい木。ここの庭園の植物たちはあの木によく似ている。そう思って、部屋に戻ってすぐのところに置かれている『黄色い本』を読み始めた。そうやって高野文子の原画と改めて対峙するために気持ち作っていった。実ッコちゃんは私、実ッコちゃんも私、そう言い聞かせて実ッコちゃんになりきって『ドミトリーともきんす』原画に再挑戦してなんとか最後までたどり着いたよ。
 岡崎京子展に行って、図録を読んで、私は肩の荷を下ろしたんです。岡崎京子が作品を発表できなくなってからその場所に座るものがいなかった。だから、それは自分自身で埋めなきゃならないんだって、ものすごく気を張ってた。でも私、岡崎京子みたいに多作になれるような人間ではないので、それはとても無理をしていることだった。私が気張らなくてもそれができる人がいるじゃん、って今日マチ子リバーズ・エッジ2015』を読んでわかってやっと楽になったんです。そして岡崎京子高野文子の原画を観る機会が立て続けにあって、サカエちゃんも私だけど実ッコちゃんも私だから、自分の中の勢いと緊張感のバランスをうまく取れるようにしようと思った。

 他にこの原画展に行った友人*1とやりとりしていて気づいたんだけど、せっかく作ったポストカードをその場で売らずに駅前の写真屋さんで買ってください、というアナウンスが出ているくらいに庭園内のどこにもお金を取るシステムがないんです。会場で本やポストカード売ればいいのにもったいない、と友人は言ってたけども、私はマキノ君と高野文子の二人展の敷地内でそういったお金のやりとりの場があることはこの二人にふさわしくない、ストイックだけど妥当な姿勢だなと思いました。あえてそうしない美学がそこにはあった。なので帰りにポストカードを売っているお店にも行ったんだけど、やっぱり止めてその代わりに近くの花屋で芍薬を買って帰った。その方があの人たちにふさわしい振る舞いのような気がして。
 友人の名がついた植物と私の名がついた植物が庭園で並んで植わっていたので、どちらが正しいとかではなく、隣り合っていても違う花が咲くようにたまたま違うものを受け取ったり栄養にしているだけなんだと思います。そして違ったままその場で共生していていいんだと思います。

ドミトリーともきんす

ドミトリーともきんす

黄色い本 (KCデラックス)

黄色い本 (KCデラックス)

*1:昨日会った人とは別人

Smells like 90's spirit

marginalism2015-05-03

 ローザスの『ドラミング』観に行ったのいつだ……?アフタートークがあった日だから4/17かな……?拍手しすぎて腱鞘炎こじらせて、なかなかタイピングも難しかったので、今更ながらまとめておきます。

 スティーヴ・ライヒ音源を使ったコンテンポラリーダンスをそれまで生でいくつか観てきていて、その度に消化不良を起こしていて、ローザスまで生で観てそういう気分になったらどうしよう、とか心配してどんよりしつつ会場向かったんですけど、どんよりしすぎたせいなのかなんなのか、池袋西口東京芸術劇場までの道筋を迷ったのがショックでした。大学4年間を西武池袋線沿線で過ごして、ちょっと時間が空くとすぐ電車で3駅の池袋へ駆けつけて俺の庭!レベルで遊んでいたはずなのに、当時住んでいた家からトキワ荘跡地経由で自転車でも行ってたはずなのに、土地勘すっかりリセットされてた。西口と東口を間違ったわけでもないのに、駅前の芸術劇場までを迷うとか何が起こったのかよくわからなかった。
 そして会場入ったらものすごい行列ができていて、「日劇7周り半」という単語が頭をよぎる。当日チケット受け取りだったので、まっすぐ行っていいのか躊躇しつつチケットボックスに向かったら、あれは当日券の列だと教えてもらった。ダンス公演の当日券であんなに並んでるの見たことなかったから驚いた。ローザスってそういう存在なんですね。入場の時にぶつかったタバコの臭いがしみた背広のおじさんに競馬場に行った時みたいに舌打ちされて、わあーこういう層も来るんだーってことにも驚きました。ここはフランス映画を観ていて上映中に痴漢に遭う街だったと思い出しました。席に座ったら、隣に小学校低学年くらいの女の子がいて、ああお母さん子供連れてまで楽しみにしてたのね、これてよかったね!お嬢さんもバレエあたり習ってるのかな?きっといい経験になるね!と思ってたら反対側の隣の男性が嫌そうな顔してその母娘見てるし、正直、舞台が始まるまでのコンディションは最悪に近かったです。あの子はお母さんの言うことよく聞いててぐずりもしなかったから、嫌そうな目で見てる男性の方が迷惑行為だった。

 ローザスの『ドラミング』を私はYouTubeでしか見たことがなかったので、始まり方を把握していなかったのですが、ダンサーがバラバラとなんとなく持ち場について集まって、音楽が鳴るのを待つんですね。それはダンサーではなくオーケストラボックスに入ってチューニングしたり隣の人と喋ったりする楽団員のようなざっくばらんさで、気負いのない導入部だなと好感を持てました。一旦音が鳴り始めると空気が変わるのも懐かしかったです。

 なんというか全般的に懐かしかったです。GINZAの付録の「おとなのオリーブ」にローザスのことが書かれていて「率いるのはピナ・バウシュの後継と言われる振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル。その強くてピュアな世界観は、まさに『オリーブ』。」とか紹介されてたんだけど、いや、ピナの後継ってなんか違うし、ピナは『オリーブ』だと思うけどアンヌ・テレサの世界観って『オリーブ』っていうには力強すぎて柔軟性に欠けてないか?などと思ってたんです。でも生で観たら、全くもって『オリーブ』でした、すみませんでした。これもっと古い作品かと思ってたんだけど、初演が1998年なんですよね。だから、ドリス・ヴァン・ノッテンの衣装もオリーブぽかった。ドリス・ヴァン・ノッテンは買えなかったけど、大学生当時の私がこんな感じのワンピースにカーディガンを合わせた格好をよくしてたのを思い出した。いつの間にこういう格好しなくなっていたんだろう、私こういうファッションの人だった、こういう格好でこの辺りを飛び跳ねてた人だった、そう思って若いダンサーたちをまばゆく見ていた。
 一人ずつ、大縄跳びに順番に入っていくような緊張感で踊りに加わってゆく。そして音の限界ギリギリまで自由に自分を表現している。ライヒの楽譜の音符に示される範囲からは決して外れないんだけど、そのギリギリまで自由だ。それが音と踊りの厚みを増す。これは日本というか儒教文化圏のカンパニーにはできないことだろうなと思った。個を大事にする西洋のカンパニーに加わっている東洋人が求められてそれを表現することはできるけど、儒教文化圏でのクリエイションで群舞になってこれだけ自由に振る舞えるかといったら、まずできないだろう。どうしても萎縮してしまう部分は出てきてしまう。規律を乱さないことを第一に考えて目上の人に合わせてしまう。その一音の中でどれだけ自由に振る舞えるかなんて考えもつかない。それが文化として染み付いているから。それは悪いことばかりではないけど、こういう『ドラミング』を作るのは無理だろうなと思った。
 以前、私がBBLの『ボレロ』を観に行った日のメロディがズアナバールで、有色人種のたおやかな女性メロディがマッチョでルードな白人男性たちのリズムに襲われるような倒錯的な世界観になっていて、ああこういう『ボレロ』もあるんだと、メロディって強く君臨するような人だけじゃないんだ、ダンサーによって全く変わってしまうものなんだと驚いたことがありました。それに対してギエムがメロディ、東京バレエ団の男性ダンサーがリズムの時は決然と女王のメロディが絶対君臨してそれにストイックなリズムがひたすら従順に統治されているといった様子で、ラストの印象も全く違って、ああこれきっとギエムとBBLの組み合わせだったら喧嘩になって舞台がまとまらなさそうだから、ギエムのリズムは日本人が合ってるんだな、どっちも面白いなと素直に感心しました。メロディがとかく注目されがちなベジャールの『ボレロ』でもリズムを担うダンサーも実はとても重要で、シンプルな衣装、シンプルな舞台装置だからこそ、リズムであろうとも一人一人の力量や個性にかかるものは大きく、また一人一人の個性のまとめ方も大きくて、そのまとめ方が西洋と東洋では全く変わってしまうことを目の当たりにして面白かった。オーケストラでもサイトウキネンの個性ってアジア人ならではの細やかさやまとまり方っていうのが西洋音楽の中では際立っているから、ライヒのドラミングもきっと東洋人だけで演奏したら今まで聴いたものとまた違うものが出来上がるはずだ。日本人演奏家なんかがソリストとして振りまく個性を集団の中の一人になるとある程度抑えがちになってしまうのも、あまり意識してやっていないはずだから、儒教文化圏でこの音楽へアプローチする時に気をつけなければならないこともわかったように思う。
 ローザスの『ドラミング』は『ローザスのドラミング』として完成し尽くされているんだけど、『ベジャールボレロ』ほど圧倒的ではないので、まだ違うアプローチから違う完成形を提示する余地はあるように思えた。90年代の空気をたっぷり含んだ『ドラミング』は青春プレイバックを見せられているようで、終わり方もまた90年代っぽいな、ああいう風な締め方ってとってもあの頃多かったような記憶があって、メタの使い方が爽快で楽しかったんだけど、まだ発見されていないこれと違う終わり方もあるはずで、『ボレロ』ではなく『春の祭典』みたいに完成形がいくつもあってどれも楽しい、みたいな作品であってほしいなと思う。『ドラミング』まだ掘り尽くされていない。ローザスの見せる一面は完成されてるけど、他の五面が揃ってないルービックキューブみたい。

 ちなみにアフタートークで初演メンバーの池田扶美代さんが「ノートをとってて、あそこは危ない、いつか事故を起こす、って思ったところを言わないでおくか、明日早くきて伝えるか今も迷ってる」みたいなことを言っていて、その気持ちすごくわかる……と思いました。彼ら彼女らの作品だからそこは口出しせずにあえて見守るか、でもやっぱり事故が起きそうな場所は指摘した方がいいのか、って指導する立場になると、匙加減は常に迷う。とあるライターの人が新人編集者と組む時はわかっていても何も言わずに一緒に失敗することに付き合う、そうしないと相手が成長しないから、と話していたのも思い出した。1990年代にあんな若者だった私も2010年代には若者を指導する立場に回ることもあるので、池田扶美代さんに共感すると共に、池田扶美代さんの言ってることがよく理解できてない若者たちをとても愛おしく思った。

「おとなのオリーブ」付録号↓

GINZA(ギンザ) 2015年 04 月号 [雑誌]

GINZA(ギンザ) 2015年 04 月号 [雑誌]