東京、1月15日、12時24分

marginalism2012-01-25

公立の美術館なんかに併設されているミュージアムショップが好きです。おまけだからこその美点として暢気で商売っけのないところが好きです。この前、カーチャが引退する前に生でどうしても見たいという衝動に耐えきれなくスターズ・オン・アイスのチケットを取った勢いで、その日の午前中に「ぬぐ絵画」最終日にも足を運びました。

http://www.momat.go.jp/Honkan/Undressing_Paintings/
ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945(これ英語でnudeとかnaked使わないでundressingって単語使ってたのか)
概要

重要文化財から問題作まで、約100点でたどる日本のヌード絵画総まくり!
今日も盛んに描かれ続ける、はだかの人物を主題とする絵画。絵といえば、風景や静物とともに、まずは女性のヌードを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

しかし、はだかの人物を美術作品として描き表し、それを公の場で鑑賞するという風習は、実はフランス、イタリア経由の「異文化」として、明治の半ば、日本に入って来たものでした。以後、これが定着するまで、はだかと絵画をめぐって、描く人(画家)、見る人(鑑賞者)、取り締まる人(警察)の間に多くのやりとりが生じることになりました。

「芸術にエロスは必要か」「芸術かわいせつかを判断するのは誰か」にはじまり、「どんなシチュエーションならはだかを描いても不自然ではないのか」「性器はどこまで描くのか」といった具体的な事柄まで、これまで多くの画家たちが、はだかを表現するのに最適な方法を探ってきました。

今日も広く論じられるこうした問いの原点を、1880年代から1940年代までの代表的な油彩作品約100点によってご紹介します。

ぬぐ絵画特設サイト
http://www.momat.go.jp/Honkan/Undressing_Paintings/highlight/index.html

個人的に一番衝撃を受けたのは、女性モデルのヌード絵画を見ることに関しては抵抗がないのだけど、男性モデルのヌード絵画に関しては見る作法ができてなくて思いのほか困惑したことでした。これは私が女性だとかそういうことは関係なくて、明治以降の裸をめぐる攻防の主戦場は女性ヌードであり、男性ヌードに関してはおざなりな扱いをしてきたため、女性ヌードにおいてクリアしてきたことを共通認識として作り上げてこなかったことに原因があるように思えます。ヌードの話をしているから当然考慮されてきた、と思っていたものが実は全く考慮されていなかった。常に議論されてきた裸体と放置されてきた裸体の展示が並んでいたことで、忘れ去られていた問題、棚上げにしていた問題が浮かび上がっていて、「はだか」とひとくくりにされていることの乱暴さが目の前に広がっていました。私達が現在ヌードという単語でまず思い浮かべるのは、ほとんどの場合女性の裸であり、その裸を見るための複雑な約束事を無意識のうちに学習していたのだという、先人達の戦って獲得してきた権利の上にあぐらをかいていたのだという、そのことを知らなかったのだという意味についてひどく考えさせられます。普段、マイノリティとされる側に分類される性別で生きているのですが、この問題においてのマイノリティは私達ではなかったのです。マジョリティになった時の無関心というのは相当なものがあります、身を以て体験して、根深いものを掘り当ててしまった感覚に今も痺れたままです。
企画全体に対しては、昨今の東京都条例とか児童ポルノ法案とかそういった動きに対しての非常に政治的な意図も組み込まれた展覧会ではあるのですけど、単純にがむしゃら和魂洋才!追いつけ西洋!と涙ぐましいまでに努力していた日本画壇、というより明治期の文明開化後の「近代」の精神について巧みに見せているなあという印象でした。「近代文学」では夏目漱石に始まり大江健三郎によって終わったメインストリームが「近代美術」では黒田清輝に始まり熊谷守一で終わった、それをわかりやすく教科書的に配置した隙のない展示だったと私は解釈したんだけど、終わりについては専門の人々の中で諸説ありそうだからあくまでも個人的な感想です。
私が根っからのサブストリームの人間なので、メインストリームからの怒濤の攻めを受けるのは少々骨が折れる作業であったし、もう正直亜流はいいから本物のマティスとかクレーとかカンディンスキーとか見せてよ*1、と一瞬気持ちが切れそうになったりもしたのですが、ちょうどその場所に藤田嗣治の絵*2が一枚だけ置かれていたのも良かったです。それまでフジタの絵は生で見たことありませんでしたし*3、本やテレビを通して見る絵にもさして興味は惹かれなかったのですけど、生で見ると異邦人として、また日本人としての孤独や孤高が滲み出ていて、日本画壇の馴れ合いから飛び出して一から作り直した人の厳しさとそれでもなお「日本」を愛している心情が痛切に伝わってきて、気持ちの逃げ場ができて救われました。日本からスクーターに乗って武者修行に出た二十歳そこそこの若者指揮者がパリでフジタの晩年に少し交流あったらしくて、その人の本を読んでいたら「あの人は複雑な人だね」というようなことを若さ故のスタイルで気軽に言ってるのだけれども、そこで語られていた人物描写も腑に落ちました。
そもそも私に美術館に行くという行為の意味を知らしめたのは全く言葉が伝わらなくてホストファミリーとも相性が悪くて逃げるように駆け込んでいたパリの美術館だったので、その地点に引き戻された気がしました*4。それまで変に日本の美術館の展示なんかに通ったりしてすれてなかったのが良かったと今でも思っています。ひとの孤独に寄り添えるものこそが芸術なのだという価値観はそこでも鍛えられました。死ぬか狂うかくらいになった極限状態の人間が縋り付いて何とか生き延びようと思わせるものが芸術だと信じていますし、だから私は既に一線を越えてしまっているアウトサイダー・アートが苦手ですし、震災直後に自分のやっていることに意味はあるのか?と悩んだような「芸術家」達に失望もしました。普段馴れ合ってばかりだからそういうことになるんだよと思っていたけれども、皆がフジタになれるわけでもないし、皆がフジタになっても業界回らないから、サロン作ってよろしくやってもらうのも大事なのかな。でも私は明らかにフジタ側の人間です。
日本語ロック論争なんかにも通じるんだけど、小さいサロンの中で追いつけ西洋!とやっていても、決して追いつくことはできないんですよね。ましてや追い越すことなんて考えつきもしないのです。エポックメイキングな作品は常にサロンの外から生まれているのです。

そのようなことをまとめたいなあと思いつつも10日近くも過ぎたところで飛び込んできたニュース。
小沢健二が展覧会『我ら、時』を開催、渋谷を皮切りに全6都市を巡回
http://www.cinra.net/news/2012/01/23/191756.php
http://hihumiyo.net/
私、正直、小沢健二の視覚情報の処理の仕方は信用していない、もうちょっとわかりやすく言うと「耳」は信用しているのだけれど「目」はそこまで鍛えられてるとは思えない。ただ、ここの文章を読んでいるとそういった部分はエリザベスさんが担当するのかな。苦手分野を得意な人に任せきれるなら、そこまで余裕ができているのなら、と期待半分不安半分の恐いもの見たさで行こうと思います。『うさぎ!』読むために購読していた『子どもと昔話』で見かけたエリザベスさんの写真は好きでした。『うさぎ!』自体のキャラクターの書き割りっぷりが生協のチラシに書かれている小難しい問題を説明するためだけの4コマ漫画レベルでの血の通ってなさであったり、テーマはともかく小説としての構成や文体のお粗末さ(詩や音楽に関してはあれだけ練りに練ったものを出してくる人間と同一人物の作品とはとても思えない)、「小説を書く」という行為がどういうことかわかってないのに手を出した覚悟のなさとこれを平気で世間に出して問える傲慢さに嫌気がさして、この人もうダメだと11話くらいまで読んで見切りをつけてたんですけど、詩や音楽の発表に関しては相変わらず覚悟は感じるので、単に脇が甘い人なんだと割り切るようにした。世界中を旅していても、所詮旅人でしかなくて帰る場所はNYだし、現地の人と交流していても視点が交わってないことにすら気付かない鈍さが端々から伝わってくるし、その旅や生活の資金の一部はあれだけ灰色が灰色がと言っておきながらその権化のようなJASRAC管理下の恩恵を受けていることに無頓着だったりするし、やっぱり灰色の象徴のような中国製Tシャツもツアーで嬉々として売ってたりもするし、言動の矛盾点をついて行くときりがないのですが、もうただ単にそこまで考えが回ってないんですよ、小沢健二さんは。
ひふみよツアー行った人は皆よかったっていうんだけど、私は『うさぎ!』を途中まで真剣に読んで、そして真剣に読んだからこそ、なんでこんな自分勝手なオナニーの意図を金払って必死に頭使って懇切丁寧に汲み取ってやらなければならないんだ、小説の形取らないでだまって旅行記書いてりゃまだ納得もできたがもうこれ以上付き合いきれないと結局掲載号を全て捨てた身の上なので、『うさぎ!』も読まず、『Eclectic』や『毎日の環境学』も聴かず、90年代「オザケン」感覚のままチケットを取り、会場に駆け込んで中国製のツアーTシャツやどうせ最後まで読まないだろうに辞書みたいな値段がついた本に群がってお布施のごとく喜んで買い漁る人々の感想はどうも呑み込めなかったのです。『うさぎ!』に懐疑的な人がたまたまチケットを正規のルートで手にして、その人が言った感想については信頼できたので、次のツアーがあったら行きたいなと思えたけれど、その人がいなかったら今回のオペラシティも行く気にはなれなかった。それくらい『うさぎ!』で私は小沢健二への信頼を捨ててしまったし見放していた。そこを踏まえずに押し掛けた大多数の観客については一種の思考停止の狂気を感じて距離をとりあぐねていたので、今回はそういうところでは隙を見せないでほしいなあと切に願っております。ツアー途中でTシャツ投入って知った時に、フェアトレードものとかオーガニックコットンものとか妥協しない国産の職人が作ったものを出してくるから時間かかって最初から売ることができなかったのかとばかり思ってたらメイド・イン・チャイナの薄っぺらいものだとわかり愕然とした気持ちはもう味わいたくないのです。

私は美術館で展示を見た後、ミュージアムショップに立ち寄ってその展示を見たしるしに、できるだけ500円以内に収まる範囲で絵はがきを買うのを習慣としています。時間がない中、東京国立近代美術館ミュージアムショップで何枚か選んで急いで会計を済ませると、レシートに印字されていた時刻が思っていたよりも進んでいて、代々木第一体育館まで開演前に着くのかと焦りました。それで最速ルートを検索するために携帯を取り出したら、なんのことはない、ミュージアムショップのレジの時刻設定が13分進んでいただけでした。隙を見せるならこういう場所にしてほしいなと、間延びした空間の愛すべき刻印のようなものであってほしいなと、宛てもない手紙を書きつつこっそり祈って瓶につめて放流します。

*1:ちなみにこの展覧会見た後常設展の方に行ってみたらさりげなくマティスもクレーもカンディンスキーも飾ってあった、本当ここの担当の人隙がないし、なんだかんだいっても日本金持ちだなと感心した

*2:「五人の裸婦」http://matome.naver.jp/odai/2126492463392819601/2126492512992822603

*3:多分…でも、もしかしたらオルセーかポンピドゥーで大学生の時に何も知らずに見ていたかもしれない

*4:その後、「洗濯船」近くのロメール映画に出てきたホテルに泊まって凱旋門賞見てタスク終えたと言葉をはじめ色々挫折しつつ何とか帰国した。帰省以外の初めての一人旅がなぜか海外ホームステイ短期語学研修旅行だった大学3年生の話