究極かつ至高のチラ裏

marginalism2006-08-15

読んだんですよ、こうの史代の『わしズム』に掲載されてる短編。なんでこうの史代がこんな所で描いてるのか、と思ってたんですけど、なんでとかどうでもよくなった。あれ、6ページしかなかったんですね。今頃気付いたよ。全然、質量共に詰め込まれすぎてて、6ページとはとても思えなかった。本当にチラ裏ってクオリティタカスwwwとか2ページ目くらいまでは思ってたんだけど、そんな余裕なくなってもうた。そんで、『夕凪の街 桜の国』を再読してみたんだけど、ここにある残酷さの切れ味が更に鋭くなって6ページにまとまっていて、時系列で表にあたるチラシが変わってる細やかさとか、それでいて内容はよしりんが望む話で一応完結されていて、『わしズム』なんか読んでいる人のご期待にも添える構造なんだけど、それはミルフィーユの一番上だけで、その下に何層あるかってまだ掘り切れてないくらい重層的なものになってて、ああ、こういうのをやらなきゃいけないのかと思った。戦時中の表現者ってこんなことやってたんだろうなとこのご時世にリアルに感じた。
友達んちで読ませてもらったんですけど、『わしズム』買った方がいいのかも。8月15日にこの私に『わしズム』を買いたいと思わせる漫画を描くこうの史代さんはおそろしい人です。なんだか、高野文子の底意地をもっと悪くしたような、向田邦子の「女」の描き方に近い背筋のぞっとするような感覚とか、いやむしろ『部屋とYシャツと私』のとち狂ったものにあてられたような、更にそれを『わしズム』で6ページにまとめて、「所詮こんなのチラシの裏ですよ」と出してくる腹の据わり方とか、『夕凪の街 桜の国』より私は格段上の衝撃を受けた。でも、それは私が「ヒロシマ」より「女であること」の方がわかりやすい人間だからで、「ヒロシマ」の方が一般的にはわかりやすいのだろうなとは思う。とにかく今年一番の衝撃作でした。きっと、これ以上の漫画には今年はもう出会えない気がする。


夕凪の街桜の国

夕凪の街桜の国