五輪とは何か

覚えていますか、北京五輪の会期中にロシアとグルジアの間で戦争があったことを。2014年冬季五輪開催予定地のすぐ近くで、2008年夏季五輪開催中に戦争があったことを。
五輪とは何でしょう。五輪におけるフィギュアスケートとは何でしょう。私にとってそれはリレハンメル五輪のカタリナ・ヴィットの『花はどこへ行った』やソルトレイク五輪のアニシナ&ペイゼラの『リベルタ』が一つの答えになります。

過去ログ参照
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20081205/1228411983

早いもので、まだ遠い話とはいえ五輪予定地近くで戦争起こすなよ、と思っていた場所での五輪へあと1年を切りました。
どうせソチだよロシアだよプーチンだよ、勝つための曲なんか決まってるじゃんゲルギエフ音源だよゲルギエフが開会式とか閉会式とか思い切り関わって出てくるに違いないじゃん、あの人サントリーホールでマラ9振ってたと思ってたら次の日ローザンヌでロシアW杯開催決定の瞬間に居合わせてるんだよFIFAのお偉いさんより主役面してたよどんだけ早業で移動してんだよ、フィギュアスケートで曲使ったらすぐその場でコラボできるからロシアだからマリインスキーから手兵連れてくるの楽勝だろ。悲愴、悲愴、チャイコの悲愴滑れたら完璧。最終楽章最後のコントラバス表現しきったら優勝。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、幻想序曲「ロメオとジュリエット」

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、幻想序曲「ロメオとジュリエット」

はいこれね、ゲルギエフ指揮でもウィーンフィルの方使わないでねマリインスキー盤ね、ロシアだからね。ゲルギエフでチャイコ悲愴でマリインスキー演奏盤で鉄板って覚えておいてね。くらいに照れ隠しみたいなもので身も蓋もない言い方しちゃうんだけども、本当はこの曲を何の先入観も持ってない高橋大輔が滑りきっただけで私が思う五輪のフィギュアスケートなんて見れちゃうと思ってます。この曲に負けないって円熟期に入ったスケーターじゃないと無理で、しかも男性の力がないと耐えられない。どうやってもロシアの大地を踏みしめて立ち向かう男性の重みがなければ表現しきれないからです。男性が男性に向けた曲だから女の入る余地などないのです。何にも考えなくても音楽を聴いて演奏者と作曲家の気持ちを感じれば充分あの人ならやれるでしょう。
真っ向勝負でこの曲を使えるスケーターなんか限られている、だからこそそれを見たい、別に優勝とかどうでもいい、印象に残る場面を見たい。そのためには高橋大輔ゲルギエフの振る悲愴でフリーを滑ることだ。この曲で戦えるのは、この暗さを暗いまま滑りきって鎮魂することができるのは、今、高橋大輔しかいないんだ*1
ゲルギエフの音楽は嘘をつかない。根深く重い複雑なものを全て一人で背負ったままこの人は音楽に立ち向かっている。あれほど「ロシア」を張り付けた背中は他では見たことがない。フィギュアスケートやらバレエやらクラシック音楽やら観に行くとそれなりにロシア代表みたいな人は見てきてますが、正直ゲルギエフほどその重みに耐えて立ち向かっている人はいないと思う。あれほどの立場にいながら「嘘をつかない」のはどれだけ大変なことか、でも、「嘘をつかない」からあれほどの立場にいるとも言える、音楽に対しては「嘘をつかない」けど、それ以外のことでは腹芸を使わざるを得ない局面も多いだろう、音楽に誠実であるためにそれを駆使せざるを得ないだろう、彼が解放されるのは音楽に集中できる時だけなのだけど、それはそれで難儀なことだ。それは選ばれた人間の孤独だ。妙にプーチンと馬が合うのは案外その孤独の共有から生まれてるのかも知れない。

でも2012-2013シーズンの高橋大輔のままだったら全日本のフリー道化師以外は信用できない感じだったから、使ってほしくないです。結局ニコライに依存してる顔丸出しだったんだもの。大人の距離取れてなかったもの。完璧巻き込まれて洗脳されてたもの。てかね、変えるならフリーだと思ってたの、プレ五輪シーズンにこんな守りの滑りを見せられてもつまんないって、冒険するシーズンだろって。SPは自分の枠を広げようとするプログラムだからシーズン後半でこれをものにできればいいけど、FSはもう手癖でこういうのだよねーそうだよねーはいはいわかりますーみたいな既視感漂うものでしかなくて、こんなの見たくなかったんだけど、下手に全日本で神演技しちゃったもんだから変えるの難しいなと思ってたらSP変更とかしちゃってあれ?何で?って、それで月光?ベートーヴェンのあれ?あれをモロゾフ振付け?それってリッポンが滑ったのとほぼ同じようなテンプレ使い回しでしょ?って思ってたら予想以上にその通りで怒りのあまりシーズン中に何も書けなくなっていたブログがここになります。とりあえずお前らキーシンに謝ってこいや。手癖でキーシンの音楽汚してんじゃねえよと。てかあんな音響の悪い場所で音が潰れないキーシンのピアノってすごいってそれしか印象残ってねえんだよお前ら手癖でしかないから、何やってくれちゃってんの?って、そういうのできるの別に知ってるし今やることじゃないでしょ、って。キーシンだって楽譜を広げる度に、鍵盤に向かう度に、恐怖を克服して演奏してるのがわかるピアニストなんだよ!
高橋大輔から孤独に耐える心を奪ったら何が残りますか?依存心だけでしょうが。一人で恐怖を克服して立たなければならない孤独な場所に対して、ニコライが再び関わり始めてからそこのバランスが狂ってた。確かにロシアで戦うにはニコライは必要な駒だけど、あくまでただの駒でしかない。ただの駒が出しゃばってきたらそれを押さえるのが他の駒の役割です。でもあの暴れ馬の制御が効かなくなってたのか、それともあえて暴れさせていたのかはよくわからないですけど、とにかくあいつは外から見ると邪魔なことしかしてなかったよね。ニコライってモチベーターがいなくてもやれるようになってほしい。あの人のモチベーションのあげ方は自分に依存させることが前提になっているようで、それは一流の人間のやり方ではない。内輪の人間がこういう言葉が届かないほど洗脳されているとは思いたくないので今言います。
なので、あの人はロシア外交と場所確保のパシリに使うだけにしといて、もちろん悲愴も振付けは別の人でお願いします。案外これがローリーとかいけるかもしらん。ローリーんとこにこのCDもってけばいい、いやウィルソンでもカメレンゴ&クリロワでもいいんだけど、カメレンゴ&クリロワだったらロシアンテイストもうまいこと入れられると思うんだけど、とにかく私は高橋大輔の奏でる孤独が好きです。その姿を見ていると一人じゃないと思えるからです。同じような孤独を抱えている人がいると思うと安心できるからです。それがロンドンワールドシーズンは感じられなくてとっても取り残された気分になりました。だから、ソチ五輪シーズンはたっぷり孤独を感じさせてもらえたらいいなと思ってます。まだ彼に失望したくないんです。
エストロ・ゲルギエフオセチアコンサート、フルであがってた。ここに映っている聴衆の表情、あれは孤独を分かち合っている人々の表情です。その音楽が鳴っている時間だけ共有できる感情が各々に収斂されている表情です。みんな傷ついてるんです、でも、音楽が確かにその傷に対して魔法をかけている瞬間なのだとも思います。
Ossetia Memorial August 2008 - Mariinsky Orchestra, Tskhinvali , Valery Gergiev

http://www.youtube.com/watch?v=wDn_hivYK9A


女子はこの際ゲルギエフでハルサイいっちゃって欲しい、美姫ちゃんとかカロリーナだったらうまいことやれるんじゃなかろうか。

ストラヴィンスキー:春の祭典/スクリャービン:法悦の詩

ストラヴィンスキー:春の祭典/スクリャービン:法悦の詩

安藤美姫ならニジンスキーの解釈で、カロリーナ・コストナーだったらバレエ・リュス的解釈(牧神)とベジャール的解釈(ボレロ)は既にやってるのでピナ・バウシュ的解釈で。そして21世紀にハルサイ事件再び!

無良くん(ご結婚おめでとうございます!)用は1812年。大砲の音に乗って3Aぶっ放して下さい!

1812年~ロシア管弦楽名曲集

1812年~ロシア管弦楽名曲集

なんかこんなの

http://www.youtube.com/watch?v=v6BTFTJnkN8

ロシアとグルジアオセチアの紛争とゲルギエフのコンサートに関してはけっこう過去ログで書き留めてありました。
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20080829
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20081001
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20100619

あと、最近のプーチンゲルギエフの交遊密度を表す記事も。

ロシア「労働の英雄」称号復活 進まぬ近代化…精神論で国民鼓舞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130501/erp13050120510003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130501/erp13050120510003-n2.htm

【モスクワ=遠藤良介】旧ソ連時代に存在した「労働の英雄」称号がロシアで復活し、プーチン大統領メーデーの1日、芸術や技術分野で功績が顕著とされる5人に勲章を授与した。国家的課題である経済の「近代化」が思うに任せない中、精神論で生産性向上や国民統合を図ろうとするプーチン政権の保守的傾向が際立ってきた。

 ソ連崩壊後で初めて「労働の英雄」勲章が授与されたのは、プーチン氏とも親しい世界的指揮者でマリンスキー劇場を率いるゲルギエフ氏ら。

 他に、原子力関連の旋盤技術者や農業技術者、神経外科医、記録的な採掘を達成した炭鉱の機械技師が、それぞれ技術改良などを顕彰された。

 この称号はソ連時代の1927年に制定され、38年には「社会主義労働の英雄」と名称を変更。改称後の勲章第1号は当時の独裁者、スターリン自身に授与された。ソ連時代には最も権威ある称号の一つとされ、とりわけスターリン時代の「上からの工業化」では国民の精神を高揚させて生産増大を鼓舞する意味合いをもった。

 ロシアは石油・天然ガスに依存する後進的経済からの脱却を課題としているが、深刻な汚職や投資環境の悪さといった壁に阻まれて成果に乏しい。メドベージェフ前大統領(現首相)の掲げた国家の「近代化」もかけ声倒れに終わり、今年の経済成長は3%台と主要新興国の中では下位にとどまると予測されている。

 プーチン氏はサンクトペテルブルクでの叙勲式で「わが国の工業力は勤労者の心からの熱意によってもたらされた」とし、「精神的・文化的遺産や国民の勤労意欲によってのみ、われわれは前進することができる」と強調した。

 「労働の英雄」称号の復活は3月末、このところ再活性化しているプーチン支持の国民運動体「全露人民戦線」の会合で提案され、プーチン氏が即決した。同運動体は他にも、歴史教科書の統一や学校制服の義務化といった議論を喚起し、保守的価値観に基づく国民統合を訴えている。

 モスクワなど都市部の中産階層に反政権機運がくすぶる中、プーチン氏は医師や教員を含む公務員、芸術関係者、地方の国営企業従業員など、国家資金に依拠する層の支持固めに動いている。「人民戦線」のテコ入れや「労働の英雄」称号の復活もこの流れに位置づけられる。

Facebookでは写真も上がってました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151576922483535

*1:トマシュ・ヴェルネルが復活してきたら或いは戦えるのかもしれないけど